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2014年10月12日 主日礼拝説教
「主の御手が彼とともにあった」〜イエス・キリストの生涯6. ヨハネの誕生とザカリヤの賛歌〜(ルカの福音書1章57節〜80節)
先週は56節まで、「イエス・キリストの生涯5」マリヤのエリサベツ訪問の箇所を読みました。エリサベツがマリヤに会った時、エリサベツは聖霊に満たされ、マリヤを救い主の母として祝福し、胎内にいたヨハネも喜びおどったのでした。
それを受けて、マリヤは「マリヤの賛歌」(マグニフィカト)を歌いました。マリヤは、救いは主のあわれみによることを告白し、また福音は貧しい者、弱い者へ神様のあわれみによって届けられることを歌いました。「飢えた者」「低い者」が引き上げられる社会。神様は人の思いと、社会の秩序を覆されるのです。救い主が来られることによって、人は自分自身の力によっては、また自分自身の中に何一つ救いうるものがないことを知らされるのです。
57さて月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。
御使いが告げたように、エリサベツは男の子を産みました。「主が大きなあわれみをおかけになったと聞いて」親類、友人がやってきました。高齢出産であり、しかも待ちに待った男の子を無事に産み終えた喜びを、母親のエリサベツと共にしたのでした。
59さて八日目に、人々は幼子に割礼するためにやって来て、幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、
律法によって「八日目」に割礼を授けることになりました。それは、アブラハムに神様が命じられたもので、ユダヤ人にとって、モーセの律法以前からあった最も大切な教えでした。
創世記17:12「あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。」
生まれた子どもに名前を付けることになり、親戚の人たちは、口のきけなくなったザカリヤに代わって、父親の名前をそのままつけて「ザカリヤ」にしようとしました。ユダヤでは父でなく祖父の名前を付けることが多かったようですが、ザカリヤがすでに高齢であったので、こう言ったのかもしれません。
ザカリヤは、「主は覚えていてくださる」という意味でした。ですから、高齢で子どもを授かった父ザカリヤの名前をそのまま付けたらいいと思ったのかもしれません。
それにしても、名前は両親、最終的には父親が決めることでした。喜びの輪の中の、それほど強い提案ではなかったと思われます。話ができるエリサベツに、名前は何と付けるか、「ザカリヤ」はどうですかと尋ねました。
エリサベツはその提案を退けました。エリサベツは、すでにザカリヤから筆談によって、この子が生まれるいきさつや、名前をヨハネにするように言われていたのでしょう。それで、その子の名前は「ヨハネ」としなけらばならないと断言したところ反対の声が起こりました。
「ヨハネ」という名前は、そんなに珍しくもなく、祭司の名前として旧約聖書にも出てきます。しかし、その名は親族の名前にはなかったのでした。それでどうするか、名前を付ける権利のある父親に確認しようとしました。
62そして、身振りで父親に合図して、幼子に何という名をつけるつもりかと尋ねた。
「身振りで」とあるので、ザカリヤは耳も聞こえなかったのでしょう。ザカリヤは「書き板を持って来させ」、それに「彼の名はヨハネ」と書きました。
64すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。
ザカリヤの口が開いたのは8日前のヨハネ誕生の時ではなく、名前を「彼の名はヨハネ」とした時でした。御使いが「見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します」(20節)と言った「その時」とは、神様のことばにすべて従い、「ヨハネ」と名付けた時でした。
「ヨハネ」とは「主はあわれみ深い」という意味です。これから生まれてくるマリヤの子ども「イエス」は「主は救い」という意味でしたが、その主は「あわれみ深い」お方であることをヨハネという名前を通して伝えたのでした。
口が開けたザカリヤが最初に口にしたことは、神様への賛美でした。ザカリヤの口がきけなくなったのは、彼の不信仰に対するもの、しるしを求めた結果でした。10か月にわたるザカリヤの沈黙は、神様への思いを深めていった時でした。
67節からのザカリヤの賛歌を聞いて人々は畏敬の念に打たれました。ザカリヤとエリサベツの家庭に起こったことは、広く「ユダヤの山地全体」に伝えられていきました。人々は、生まれたばかりの赤子がこれからどのような人になるのか、神様が何をなそうとしているかを語り合い、心にとどめました。
67さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。68「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、69救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。
ここからの歌は、最初の語「ほめたたえよ」から、ラテン語で「ベネディクトゥス」と言われます。聖霊に満たされて、ザカリヤはヨハネと、救い主キリストに対して預言的なことばを歌います。神様は救い主を待ち望む民を顧み、贖いをなしてくださるお方です。ザカリヤは、そのことがすでに成し遂げられ、救いが完成されたかのように歌います。
71この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。
キリストによって成し遂げられる大いなる救いが語られます。
74 75われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。
神の民は、キリストによって「きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される」者となるのです。
76幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、77神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。
ここからザカリヤは、今生まれ出たわが子ヨハネの未来と役割を歌います。救い主キリストの先立ちとなる預言者として、罪の赦しによる救いが到来することを伝えるのです。
78これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、79暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」
救いは「神の深いあわれみ」によってもたらされ、平和への道に導きます。ザカリヤは、すべて主のあわれみのゆえに救いの約束が今実現したことを歌い上げました。
わが子ヨハネの誕生を喜んだザカリヤは年老いていました。それが、ヨハネの誕生によって、ザカリヤは聖霊に用いられて、神様のあわれみを思い、高らかに賛美できる者とされました。ザカリヤもヨハネとともに新しく生まれたのでした。ザカリヤは神のことばを信じ、間もなく生まれてくる救い主を信じることによって新しく生まれることを経験したのでした。
イエス様に会ったニコデモという人がいました。彼はすでに老年になっていました。ニコデモも年老いて新しく生まれるという経験をしました。ニコデモは、イエス様から「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」(ヨハネ3:3)と言われました。
ザカリヤの家系に、今までなかった「ヨハネ」という新しい名前が加えられました。神様は、ザカリヤの家に、そして全世界に新しいことをなそうとしておられるのでした。
イザヤ書43:19「見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」
私たちも、今私たちに「主の御手」があることを信じて、私たちのすべての悩みを解決してくださるために、また私たちのすべての罪を赦し、天の御国へ導き入れてくださるために、イエス様が生まれたことを感謝して歩んでいきたいと思います。
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