ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2014年11月23日
2014年11月23日 主日礼拝説教
「幼子イエスを導かれる神」〜イエス・キリストの生涯11. エジプトへの逃避〜(マタイの福音書2章13節〜23節)
先週は、異邦人であった、東方から来た3人の博士たちが生まれたばかりのイエス様を訪ねてきて、イエス様に礼拝をささげました。それは、救い主イエス様が、すべての人のためにお生まれになったことのしるしであったことを見ました。イエス様にお会いした博士たちは、神様の指示によって、ヘロデに会わずに帰って行きました。
13彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
博士たちが帰ったその夜のことと思われます。神様は、イエス様に危険が迫っていることを夢で知らせました。神様が指示したことは、エジプトに逃げることでした。当時エジプトのアレキサンドリヤには、多くのユダヤ人が住んでいました。その中に隠れ住んでしまえば安全でした。
14そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、15ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した」と言われた事が成就するためであった。
神様からの知らせを受けたヨセフは、すぐに、その夜出発しました。エルサレムからベツレヘムまでは10キロほど、1〜2時間で着いてしまう距離です。急がなくては危なかったのでした。
ヨセフには、これからどうなるのか、どこに行くのか不安もあったでしょうが、イエス様誕生にまつわる不思議な出来事の数々を経験したヨセフには、神様が共にいて守ってくださるという確信のもと旅立ったのでした。
ヨセフ一家は、ヘロデ王が死ぬまでエジプトに滞在しました。イエス様がエジプトに行かれたこと、そしてエジプトから帰ってくる。イエス様がそのような出エジプトの経験をなさることは、聖書の預言が成就するためであったとマタイは記しました。
ホセア書11:1「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。」
ヘロデは、博士たちがエルサレムには戻らずに、そのまま帰国してしまったことを聞きました。王は怒り、恐ろしい命令を下しました。ベツレヘム周辺に住む「二歳以下の男の子をひとり残らず殺せ」。そのあとに起こった悲しい出来事が、「ベツレヘムの幼児虐殺」と言われている出来事です。
これはサタンの働きでした。サタンは、幼子イエスに対して憎しみを抱いていました。これから始まるイエス様の働きによって、自分たちの滅びが明らかにされるからでした。
ヨハネの黙示録12:3−4「また、別のしるしが天に現れた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。」
ヘロデは、自分の気に入らない者、自分の地位を脅かす者を次々と殺して行った王でした。彼は王になった時、自分に反対する議員たち300人を殺しました。そのほか、妻、しゅうとめ、3人の息子を次々と殺し、自分の死後にも、殺す人を名指しで遺言したほどでした。
当時ベツレヘムの人口は数千人で、2歳以下の男の子は10〜20人ではなかったかとも言われています。
なぜ神様はこのようなことを許されるのか。その答えはわかりません。どんな説明もむなしいものでしょう。私たちができることは、神様がそうなることをお許しになったことに対して、神様のみこころを祈り求めるしかありません。
17そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。18「ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。」
この出来事が、エレミヤ書の成就であったことをマタイは告げます。
エレミヤ書31:15「【主】はこう仰せられる。「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている。」」
エレミヤのことばは、バビロンに捕囚として連れて行かれる時の情景を表しています。自分が産んだ子供たちがいなくなる。母親たちがそれを見て悲しみ嘆いている様子をエレミヤが記したものです。その時の母親の悲しみが、ベツレヘムの母親との悲しみの時に同じように起こったとマタイは記しました。
こうしてマタイは、イエス様が出エジプトの経験と、バビロン捕囚の苦難を通られたお方として描きました。
ヘロデ王が死んだという知らせが、夢の中で神様からありました。そして、イスラエルに帰るように言われました。ヨセフは、神様の言われるとおり、すぐにエジプトを去りイスラエルに向かいました。
22しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。
ヘロデの治めていた領土は、死後3つに分割され、3人の息子たちがそれぞれ領主として治めることになりました。ベツレヘムのあるユダ地方は、ヘロデの息子であった「アケラオ」が治めることになりました。アケラオも、父ヘロデに劣らず残忍であったことが知られています。アケラオは即位間もなく、神殿で3000人を殺害したと言われています。あまりの残忍さに、ローマ皇帝によって罷免され、エルサレムには、ローマから派遣されたローマ総督が駐在し治めることになります。
北のガリラヤはヘロデ・アンティパスが、そのほかの北東部はピリポが支配することになりました。
そこで、ヨセフは夢で北のガリラヤに行くように示されました。
23そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われた事が成就するためであった。
ヨセフ一家はナザレに住むことになります。これは、預言者のことばが成就するためと、マタイは記しました。
イザヤ書11:1「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。」
エッサイはダビデの父です。この「若枝」は、メシヤ救い主のことと言われている箇所です。若枝はヘブル語で、「ナツァル」。イエス様がナザレ人と呼ばれることは、この若枝のお方、救い主であるとマタイは語ったのでした。
幼子のイエス様とヨセフ、マリヤは、ベツレヘムからエジプトへ、そしてイスラエルへ、ユダへ、ガリラヤへ、さらにナザレへと次々と示される神様の導きに従って旅を続けました。それは、イエス様がご自分のところに来られたのに、人々はそのことがわからずイエス様を拒絶したからでした。
ヨハネの福音書1:11−12「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」
幼子を導かれる神様。その幼子は、神様のひとり子であられました。神様は私たちを愛し、私たちを救おうとして、イエス様をこの世に送ってくださいました。しかし、すでにイエス様は、誕生の時から拒絶と苦難の中にありました。生まれたときから宿屋には泊まれず、ヘロデに命を狙われ、エジプトに逃れ、行き着いたところがガリラヤの片田舎ナザレでした。のちにガリラヤのナザレ出身のキリストと言われるようになります。そのことが、またユダヤ人のつまずきの要因となってしまうのでした。
それら拒絶とつまずきは、やがて成長して十字架で受ける苦しみ、私たちの罪をになって十字架で贖い、身代わりの死を遂げることを予感させるものでした。そこまでして救ってくださろうとしている神様。それをはばもうとしているサタン。それにあやつられるヘロデ、律法学者、ユダヤの人々。しかし、神様の選びと救いは確かでした。この方を受け入れる人々を全世界の中に用意してくださっていたのでした。
私たちが、その一人であることを覚えて、神様が救おうと選んでくださった一人であることを覚えて、今日も感謝して歩み出したいと思います。
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