ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年12月14日


2014年12月14日 主日礼拝説教
「天の御国は近づいた」〜イエス・キリストの生涯13. バプテスマのヨハネの宣教〜(マタイの福音書3章1節〜10節)

■はじめに

 イエス様はヘロデ王に追われ、ベツレヘムからエジプト、そしてガリラヤのナザレへと帰ってきました。ここまではマタイの福音書に書かれていました。そして、イエス様はナザレで少年時代、青年時代を過ごされました。そのことは、ルカの福音書に書かれていました。いつしか、イエス様の誕生から30年近く時は過ぎ、突然バプテスマのヨハネの登場となります。

■バプテスマのヨハネ

1そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。

 バプテスマのヨハネの誕生については、ルカの福音書に詳しく記されていたので、マタイの福音書から読み始めた読者にとっては、突然のヨハネ登場になります。
 ヨハネは祭司ザカリヤの子でした。ザカリヤの妻はエリサベツ。このエリサベツと、イエス様の母マリヤとは親類同士でしたから、イエス様とヨハネとは、幼いころいっしょに遊んだのではないかとも考えることができます。そのことを題材にした絵画が多く残されています。
 「そのころ」とあります。ルカの福音書にそのころのことが書かれています。

ルカの福音書3:1−2「1皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、2アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。」

 ローマ皇帝は「テベリオ」。テベリオは、イエス様誕生の時の皇帝アウグストの次の皇帝です。その「テベリオの治世の第十五年」とは紀元29年ごろでした。
 イスラエルの国はというと、イエス様が誕生された時の全イスラエルを治めていたヘロデ大王が死んで、国は4つに分割され、それぞれ4人の子どもが受け継ぎました。
 エルサレムがあるユダヤはアケラオが治めました。マタイの福音書2章に出てきた、イエス様たちがエジプトから帰って来た時の王でした。しかし、ヘロデ大王と同じく残虐なアケラオのため、ユダヤはごたごたが続き、王は廃され、ローマはユダヤに総督を置くことになります。この時は、3年後にイエス様に十字架刑を下す「ポンテオ・ピラト」がユダヤの総督でした。
 分割された「ガリラヤ、イツリヤとテラコニテ」の地方を、ヘロデ大王の子どもたちが国主として治めていました。
 一方ユダヤ教の世界はどうなっていたかというと、この時「アンナスとカヤパが大祭司」でした。本来は大祭司は一人であり、終身制でした。それが、この当時はそれがくずされ、60年間に28人もの大祭司が次々と立てられたのでした。この時はカヤパが大祭司でした。
 カヤパのしゅうとであったアンナスは、すでにローマによって罷免させられていましたが、今なお勢力を持ち続け、民衆には二人の大祭司が立てられているように思われていました。イエス様が十字架につけられる前に裁判を受ける時、このアンナスとカヤパの前に引き出されることになります。
 このように国土は分断され、エルサレムの治安はローマの総督ピラトのもとに置かれていました。民衆の不満、不安、ユダヤ教の指導者への批判が高まっている時でした。このような時に、バプテスマのヨハネが現れたのです。
 ヨハネは、旧約聖書の最後の預言者マラキ以来、400年ぶりに現れた預言者でした。マラキまでの預言者は、救い主がやがてこの世界に来てくださることを待ち望み、そのことを神様から示されるままに語ってきました。
 ヨハネは、もうすぐいらっしゃる救い主のために道備えをし、イエス様を救い主として人々に指し示す最後の預言者の役割を担ったのでした。
 ヨハネは、荒野で神様からのことばを受け、人々に罪の悔い改めを迫りました。

■天の御国が近づいた

2「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

 「天の御国が近づいたから」。「天の御国」は、「神の国」と同じことを表現しているものであり、マタイ特有の表現です。マルコ、ルカは「神の国」を使っています。
 ヨハネは人々に語りました。問題はユダヤがローマの支配下にあるからではない。またその支配者たちが腐敗しているのでもない。本当の問題は自分たちの心の中にある罪なのだ。罪を悔い改めなさい。その罪を神様に赦していただきなさい。そして、救い主がおいでになるのを待ちなさい、と説いたのでした。

3この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われたその人である。

 これは旧約聖書のイザヤ書40章3節のことばです。

イザヤ書40:3「荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。」

 まもなく王様がやってくる。その前にその通る道をまっすぐにするように。ヨハネの出現は、このイザヤの預言の成就でした。

4このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。

 これは預言者エリヤの服装と同じでした。

列王記第2、1:8「彼らが、「毛衣を着て、腰に皮帯を締めた人でした」と答えると、アハズヤは、「それはティシュベ人エリヤだ」と言った。」

 これはイスラエルの王アハズヤと家来たちの会話です。だれに出会ったのかと聞かれた時に、家来が答えたことばです。
 救い主が現れる前に、エリヤがやってくると言われていました。

マラキ書4:5−6「5見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。6彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」

 確かに、ヨハネはマラキが預言したエリヤの働きをしました。イエス様もそのことを証言なさいました。

マタイの福音書11:14「あなたがたが進んで受け入れるなら、実はこの人こそ、きたるべきエリヤなのです。」

 そのようなヨハネ出現のうわさはイスラエル全土に広まり、人々がぞくぞくヨルダン川に集まってきました。

■バプテスマを授ける

5さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行き、6自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。

 「バプテスマ」とはギリシヤ語そのものの表記です。水で洗う、水に浸すという意味の動詞からきたことばで、洗礼のことです。それでヨハネは、人々から「バプテスマのヨハネ」「洗礼者ヨハネ」と呼ばれるようになりました。
 やってきたのは、民衆だけではありません。

7しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。8それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

 「パリサイ人やサドカイ人」とは、当時のユダヤ社会の指導者たちでした。彼らは、ヨハネのもとで起こっていることを探りに来たのです。ヨハネの彼らの罪に対する指摘は厳しく、彼らを「まむしのすえたち」と呼んで糾弾しました。

9『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

 「われわれの父はアブラハムだ」などと、自分たちが神の民だからと誇って安心してはいけない。ユダヤの指導者は、アブラハムと神様との約束があるから、神のさばきから免れると考えてはいけない。神様は「この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです」。アブラハムの子孫でない異邦人が救いの中に入れられる時が来ると、ヨハネは語ったのです。

■アドベント

 今日は、イエス様の誕生を待ち望むアドベント第3週を迎えました。神様のみわざは、イエス・キリストが誕生され十字架によって完成されました。イエス・キリストが私たちの罪を背負い、十字架で死んでくださいました。そのことを信じる者は、罪を赦されてアブラハムの子孫、神の子とされたのです。神様は、取るに足りない「石ころ」から、約束されたアブラハムの子孫を起こしてくださり、私たちは救われ、神様のもとに帰ることができたのです。
 そのことを覚えて、待ち望んでこの1週間を歩みたいと思います。そして、来週、喜びをもってクリスマスを迎えたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年12月14日