ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年12月21日


2014年12月21日 主日礼拝説教
「さらに力あるお方がおいでになる」〜イエス・キリストの生涯14. バプテスマのヨハネの宣教2〜(マタイの福音書3章11節〜12節、ヨハネの福音書1章15節〜28節)

■はじめに

 バプテスマのヨハネが荒野に現れ、人々に、罪を悔い改めて間もなくやってくる救い主を待つようにと告げました。それを聞いた人々は、イスラエルのあちこちから、ヨハネが洗礼を授けているヨルダン川にやってきました。
 ルカの福音書には、バプテスマのヨハネの説教を聞いた人たちの反応を載せています。人々は深く心を動かされヨハネに問いかけました。

■ヨハネの説教を聞いた人たち

ルカの福音書3章 10群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」11彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」12取税人たちも、バプテスマを受けに出て来て、言った。「先生。私たちはどうすればよいのでしょう。」13ヨハネは彼らに言った。「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」14兵士たちも、彼に尋ねて言った。「私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい。」

 10節で群衆、12節で取税人たち、14節で兵士たちにヨハネは答えました。ヨハネは、それぞれの生活の中でできることを、悔い改めのしるしとして行うように教えました。

■聖霊と火とのバプテスマ

11私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。12手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」

 ヨハネから悔い改めのメッセージを聞いた民衆は、このヨハネが救い主・キリストではないかと考えました。しかしヨハネは、自分は救い主ではなく、救い主を指し示すために遣わされた者にすぎないと告白しました。
 「私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません」とは、たとい弟子であっても、ここまではしなくてもよいと言われていた仕え方でした。
 ヨハネは、これから来られるお方が「私よりもさらに力のある方で」あり、そのお方、イエス・キリストは「聖霊と火とのバプテスマをお授けになります」と預言しました。「聖霊と火とのバプテスマ」は、イエス様が十字架にかかられ、復活してから50日目、炎のような分かれた舌が現れたペンテコステの日に実現しました。
 これらのことをヨハネの福音書はさらに詳しく記しました。

■ヨハネの福音書から

ヨハネの福音書1章 15ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである』と私が言ったのは、この方のことです。」 

 イエス様はヨハネより年下であり、半年ほど後に生まれたお方であるけれど、そのお方は「私より先におられたからである」、永遠の世界に、この世が造られる前からおられるお方であると紹介しました。

16私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。17というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。

 さらに今、旧約聖書のモーセの律法の時代から「恵みとまこと」の時代がやってきたことを伝えました。このお方を通して、「恵みの上にさらに恵みを受ける」ことができるのでした。それは、救い主なるイエス・キリストの生涯を通して明らかになる十字架による恵みの福音でした。

18いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

 神様は、体も姿も形もない霊のお方ですから、私たちが見たくても見ることができません。栄光に満ちた神様は、私たち人間が見ることも完全に知ることもできないお方です。しかし神様は、ご自身を見ることができるようにしてくださいました。それが「父のふところにおられるひとり子の神」イエス様でした。
 このお方イエス様が、ふところにおられる、一体となっておられる神であるイエス様が、神様のみこころは何か、神様が何をなそうとしておられるのか、人間に対してどう思われているのかを示してくださるのです。
 イエス様を信じた者は、イエス様によって神様を見ることができるのです。弟子のピリポがイエス様に言いました。

ヨハネの福音書14:8−9「8ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父(なる神)を見せてください。そうすれば満足します。」9イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。

19ヨハネの証言は、こうである。ユダヤ人たちが祭司とレビ人をエルサレムからヨハネのもとに遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねさせた。

 ヨハネのもとに、ユダヤ教指導者から「祭司とレビ人」が遣わされてきました。もしかして、この預言者の姿をしている男が救い主、メシヤ、キリストなのではないかと探りに来たのでした。

20彼は告白して否まず、「私はキリストではありません」と言明した。21また、彼らは聞いた。「では、いったい何ですか。あなたはエリヤですか。」彼は言った。「そうではありません。」「あなたはあの預言者ですか。」彼は答えた。「違います。」

 ヨハネは、それらの質問をことごとく否定しました。しかし実際には、イエス様がヨハネはエリヤであったと語っておられます。イエス様はヨハネを、エリヤの霊をもった預言者、マラキが預言したエリヤであったと証言したのです。
 「あの預言者」とはモーセのことです。神様が、申命記でモーセのような預言者を起こすと約束されていました。
 それでは、あなたはいったいだれですか。自分たちを遣わしたエルサレムの指導者たちにどのように報告したらいいのですか。

23彼は言った。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です。」

 マタイ、マルコ、ルカの福音書では、このイザヤ書40章の預言がヨハネの出現によって成就したと記すのですが、ヨハネの福音者では、私は「声です」と答えます。
 エリヤではない、あの預言者モーセでもない、ましてキリストではない。主の道をまっすぐにする者でもない。それを叫ぶ声にすぎないのだ。私は、悔い改めよ、救い主が来られる、その通られる道をまっすぐにせよ、あなたがたの心を救い主が通ることができるように準備しなさい、と叫んでいるのです、と。

■クリスマスを迎えて

 今日はクリスマスです。バプテスマのヨハネが人々に示した、その救い主イエス様がお生まれなさったことを覚える日です。
 その晩のことです。主の使いが羊飼いに現れ、救い主が誕生したことを告げました。

ルカの福音書2章 10御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。11きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

 クリスマスは、神様ご自身が人間に直接現れた時でした。「父のふところにおられたひとり子の神」を、その神の御子をこの世に遣わし、そして人々を罪から救おうとした神様のみこころが現実のものとなった時でした。
 御使いの天からの声は喜びの知らせでした。その宣言が、呼びかけが羊飼いに告げられました。御使いは賛美しました。

14「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」

 平和とは、神様との平和です。神様との交わりが絶たれていた人々に、イエス様を通して、神様との平和が与えられ、だれもが神の子として、神様のもとに行くことができるようになったのです。
 神様との平和を得ることができる人たちが、神のみこころの中に覚えられています。「御心にかなう人々にあるように」と御使いは告げました。
 イエス様はすべての人が犯した罪の刑罰を十字架で代わりに受けてくださいました。それによって人は、もう一度新しく生きることができるようになったのです。その神様のみこころが、神様の救いがクリスマスに始まりました。
 私たちが神様の「御心にかなう者たち」であることを覚え、感謝して、きょうのイエス様の誕生をお祝いしたいと思います。


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