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2015年1月11日 主日礼拝説教
「主を試みてはならない」〜イエス・キリストの生涯17. 悪魔の誘惑2〜(マタイの福音書4章1節〜11節)
イエス様は荒野で悪魔からの試みに会われました。その最初の試みで、悪魔から「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい」と問われ、イエス様は「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによると書いてある」と、聖書のことばをもって答えられ、試みに勝つことができました。悪魔からの試みはあと2つです。
5すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、6言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」
悪魔はイエス様を、ユダの荒野からエルサレムに連れて行き、神殿の頂に立たせました。悪魔はイエス様に、ここから飛び降りてみなさいと言いました。あなたが神の子なら、神様はあなたを守ってくれるだろうというのです。しかもこの時は、悪魔も聖書のことばを出してその根拠を示しました。
詩篇91:11−12「11まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。12彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。」
悪魔の引用は、「すべての道で、あなたを守るようにされる」が抜けています。この詩篇は、私たちのすべの歩みにおいて神様が御使いを通して支え、石につまずかないように守ってくださることを語ったものです。それを悪魔は、高い所から飛び降りたときに、御使いが下にある石に当たらないように守ってくれると変えてしまったのです。
自分の都合のいいように聖書を変えて読んでしまうことを悪魔はしたのです。それに対して、イエス様はこうお答えになりました。
7イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
申命記6章のことばです。
申命記6:16−17「16あなたがたがマサで試みたように、あなたがたの神、【主】を試みてはならない。17あなたがたの神、【主】の命令、主が命じられたさとしとおきてを忠実に守らなければならない。」
イスラエルの民たちは、荒野で、本当に神様が自分たちを守ってくださるかどうか神様を試したことがありました。マサ、あるいはメリバと呼ばれる所で水がなくなり神様につぶやいたのです。神様はモーセに、岩を打つように命じられました。モーセがそのとおりにすると、水が岩から流れ出ました。
神を試みるとは、自分が神様よりも上に立つことです。こういうことを見せてくだされば信じますとか、こういうことをしてくだされば従いますとか、病気がいやされたら信じますとか、そのほかたくさんあります。私たちもどうかすると、神様を自分の思いどおりにしようと試すのです。
奇蹟を起こすかどうかは神様のみこころ、神様が決めることです。私たちはただ神様に信頼し、ゆだねることが求められています。
しかし神様は、私たちに決して失望を味わわせることはなさいません。なぜなら、神様はあわれみ深いお方であり、主権をもってすべてご存じのお方ですから、必ず私たちに最善のことをしてくださるからです。
詩篇37:5「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」
8今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、9言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
これは悪魔と手を結ぶなら、この世の政治的権力や栄光を手に入れることができるという試みです。
あなたが貧しい人々、苦しんでいる人々を助けるために来たのなら、彼らを救うには、十字架の苦しみを経て人々を救うより、この世の権力や栄光をつかんだほうが手っ取り早い道ですよと誘うのです。
これは弟子たちの考えの中にもあったことでした。イエス様が初めて弟子たちに、自分は十字架による死をもって救いをもたらすと言ったとき、ペテロは激しく反対しました。
マタイの福音書16:21−23「21その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。22するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」23しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」」
これは、この時の悪魔の試みと同じものでした。それでペテロに、「下がれ。サタン」と退けたのです。
イエス様は悪魔に答えられました。
10イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」
申命記6:13のことばです。
申命記6:13「あなたの神、【主】を恐れなければならない。主に仕えなければならない。」
イエス様は、ただ神様だけを拝み、神様だけに仕え、神様のみこころに従うという決意を明らかにして、神様のご支配がすべてのものの上にあることをお示しになられました。
この箇所を他の福音書から見てみましょう。マルコには、先回お話ししたように悪魔の誘惑があったことだけが記され、その内容にはふれていませんでした。
ルカの福音書は、マタイと同じように3つの試みを載せています。しかしルカは、この第2と第3の試みの順番を逆にしています。
第2……
ルカの福音書4:5−6「5また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、6こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。」
第3……
ルカの福音書4:9「また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の頂に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから飛び降りなさい。」
本来はマタイが記した順序であったと思われますが、ルカは3番目にエルサレム神殿での試みを持ってくることによって、イエス様がエルサレムを目指して進み、そこで十字架にかかられたことに合わせようとしたのではないかと考えられます。
イエス様は、このあと救い主としての道を歩み出されます。この荒野における試みによって、イエス様がどのような道を歩んで行かれるのかはっきりと示されました。イエス様は、この世の権力や栄光を用いて人々を救いに導くことをなさりませんでした。私たちの問題は、目に見えるところにあるのではなく、目に見えない心の中にあるからです。
私たち一人一人の心の中にある罪の問題が解決されない限り、私たちは滅びをまぬかれることはできません。イエス様は、この世の力をもってしてはどうすることもできない罪の問題、すべての人が聖なる神様の前では等しく罪人であるという動かしがたい事実から私たちを解放してくださるために、私たちのところへ来てくださったのです。
このあと、悪魔は、一時的にイエス様のもとを離れます。
11すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。
しかし、悪魔は最後までイエス様を試みるために、たびたび現れてきます。
イエス様は、父なる神様のみこころに徹底して従うという道を、この試みを通して選ばれました。
ヨハネの福音書6:38「わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行うためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行うためです。」
私たちは、イエス様の十字架を信じて救いを受けることができました。このイエス様の救いを感謝して、今週も歩みたいと思います。
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