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2015年1月25日 主日礼拝説教
「すべての人を照らすまことの光」〜イエス・キリストの生涯19. ヨハネの福音書序文2〜(ヨハネの福音書1章3節〜13節)
ヨハネの福音書1章1節は3つのことを言っていました。1は、イエス・キリストは永遠であること。2は、イエス・キリストは父なる神様とは別の人格であり、しかし、父なる神様と最も密接に結びついていること。3は、イエス・キリストは神であるということでした。
4つ目として3節に、この「ことば」なるお方、イエス様が神様とともにあって、神様がイエス様によって、イエス様を媒体として創造のわざを行われたことを語ります。
3すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
主イエス様はすべてのものの創造者です。「この方によらずにできたものは一つもない」と言われます。創造の時に、この永遠の「ことば」は御父とともに働かれました。
コロサイ人への手紙1:16「なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。」
「この方によらずにできたものは一つもない」。しかし罪は最初に創造されたものの中にはありませんでした。罪は、人間の堕落によってやってきました。
ローマ人への手紙5:12「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、──それというのも全人類が罪を犯したからです。」
この世界は、神ご自身によってなり、神の「ことば」を通して創造の働きが進められました。そして、次はいのちの創造です。
4この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
創造されたものは、「ことば」なる主イエス様によっていのちが与えられました。キリストは、いのちの源、起源、原因でした。また霊的ないのちの源でもありました。キリストはすべてのものの創造者であり、また新しく創造されるいのち、永遠のいのちの創始者であるということです。
ヨハネの手紙第1、5:11「そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。」
主イエス様はすべてのいのちの根源なるお方であり、イエス様のいのちは、救いにあずかったすべての人の魂を天の御国に導くことができるのです。
「このいのちは人の光であった」。キリストを光と信じ従った者が、永遠のいのちをいただくのです。イエス様は、やみの中を歩んでいた人たちに救いをもたらす光でした。
5光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
キリストによって与えられた光は、暗黒の中で拒絶されながらも輝いています。光とやみとの対立は、ヨハネの福音書に多く出てくるテーマの一つです。
ヨハネの福音書3:19「そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。」
ヨハネの福音書8:12「イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」」
著者ヨハネは、次にバプテスマのヨハネについて述べます。
6神から遣わされたヨハネという人が現れた。
ヨハネは、神様が預言を通して約束していた、救い主の前に遣わされた者でした。旧約時代、暗やみの中に預言者たちを遣わし、光の源であるまことの神に目を向けるように教えてきました。その預言者の最後がヨハネでした。
ヨハネは、イエス様より半年ばかり年上で、祭司ザカリヤと妻エリサベツが年を取ってから生まれた子でした。ヨハネは荒野に住んでいましたが、ローマ皇帝テベリオの15年に活動を始めました。人々に悔い改めのバプテスマを受けるように説き、間もなくキリストがやってこられることを伝えるよう、神様から特別な任命を受けたのです。ヨハネの説教は、人々の心を光であるイエス・キリストに向けることでした。
7この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。8彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
ヨハネは、キリストが世の光であること、イエス様が約束の救い主であることを証しするために神様から遣わされました。それは、ヨハネの説教を聞いた者たち、救い主を待ち望んでいた人たちすべてがキリストを信じるためでした。しかしヨハネは光ではなく、光についてあかしするためでした。そのことを、ここで3度も繰り返されます。7節で2回、8節でも語られます。
ヨハネが光についてあかししている時に、まことの光であるイエス様が来られました。
9すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
キリストはまことの光でした。それは、ユダヤ人だけの光ではなく、この世に生まれくるすべての者、すべての民族のまことの光でした。
10この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
キリストは、マリヤから生まれる以前に、見える形ではなかったが世におられました。旧約聖書の中に、イエス様が現れたのではないかと思われる箇所が見出されます。
そのほか、自然の秩序、人間が生み出す文化、人間の英知が生み出すさまざまなものの背後に神様の知恵、まことの光が満ちていました。ところが、ユダヤの人たちに、また人間にはそれがわかりませんでした。それで、そのために必要だったのが救い主の誕生でした。
11この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
キリストは、神様が選んでおられた「自分のくに」、神の民であるユダヤ人の中に来られました。ユダヤ人は、救い主について、いつ、どこに、どのようにして来るかの準備を受けていました。
神の「ことば」が人となって約束の民の中に住んだ時、彼らに受け入れられることが期待されました。しかし、彼らはキリストを信じず、受け入れず、拒絶し、十字架につけて殺してしまったのです。
神様は、キリストを拒絶しないで受け入れた人たちに、神の子とする道を開いてくださいました。
12しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
キリストを信じ、キリストを救い主として信じた者はだれでも、です。それは、「この方を受け入れた人々」であり、「その名を信じた人々」でした。選ばれた民ユダヤ人ではなく、信じる個人個人を神様は選ばれました。
そして、神の子ども、神の家族となる養子縁組の特権を与えられたのです。
ガラテヤ人への手紙3:26「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。」
私たちは何も気づかなかったし、感謝もしなかった者たちでした。しかし、聖書を示され、イエス様の十字架の死の意味を知った時に、私がここにいるのは、神様がいてくださったから、神様の赦しと恵みがあったからこそとわかりました。そう信じた者に、神様は子どもとしての身分を授けてくださったのです。
13この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
私たちは「すべての人を照らすそのまことの光」を受け入れて、生まれ代わり、これからも神の子、光の子どもとして歩んでいきたいと思います。
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