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2015年2月8日 主日礼拝説教
「来なさい。そうすればわかります」〜イエス・キリストの生涯21. 最初の弟子たち1〜(ヨハネの福音書1章35節〜42節)
ヨハネの福音書1章1〜18節の序文を終え、19節から、ヨハネの福音書は歴史的な部分(実際に起こった出来事)に入ります。
バプテスマのヨハネは人々に、救い主が間もなくやって来られるので、今までの罪を悔い改めてそのおいでを待ちなさいと伝えました。ヨハネのことばを信じ悔い改めた人々は、しるしとしてヨハネから洗礼を授けられました。
イエス様はバプテスマのヨハネから洗礼を受けられてすぐに、御霊によって荒野に導かれ、そこで40日の断食と、悪魔からの試みを受けられました。
マルコの福音書1:11−13「11そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」12そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。13イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた。」
40日間が過ぎたころ、バプテスマのヨハネのもとにエルサレムから遣わされた祭司とレビ人が来て、ヨハネに「あなたはどなたですか」と尋ねました。
ヨハネの福音書1:19「ヨハネの証言は、こうである。ユダヤ人たちが祭司とレビ人をエルサレムからヨハネのもとに遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねさせた。」
ヨハネは答えました。
ヨハネの福音書1:23「彼は言った。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です。」」
その次の日、荒野の試みを終えられたイエス様がバプテスマのヨハネのもとに再びやって来られました。
ヨハネの福音書1:29−30「29その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。30私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ』と言ったのは、この方のことです。」」
ヨハネは、ヨハネの弟子たちや群衆に向かって、自分が以前洗礼を授けたイエス様に対し、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言って、このお方こそ世の人々の罪を救うために、身代わりの小羊として来られたお方であると紹介しました。そのように言えたのは、ヨハネはイエス様に洗礼を授けた時、天から御霊が鳩のように下り、イエス様の上にとどまるのを見たからでした。
その翌日、3日目になります。著者ヨハネはこのように、2章にあるカナの結婚式までの1週間を、日にちを追って記します。
35その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、36イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊」と言った。
バプテスマのヨハネは、いつものようにヨルダン川の近くで弟子たちと立っていた所に、イエス様が一人で、前日ヨハネが「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と伝えたにもかかわらず、だれも付き従う人もなく歩いておられるのを見ました。
ヨハネは前日と同じことばを、今度は「ふたりの弟子」に向かって言いました。「見よ、神の小羊」と。
37ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
「ふたりの弟子」はヨハネが言ったことばに好奇心を持ちましたが、声をかける勇気もなく、ただ後をつけるようについて行きました。
イエス様は、二人の心の状態を完全に知っておられました。二人に問いかけられました。「あなたがたは何を求めているのですか。」その問いは、彼らの思いを駆り立て、また彼らの動機や心の状態を自ら吟味させるためでした。
イエス様が弟子とする時は、「わたしについてきなさい」と声をかけます。それと同じでした。イエス様はこれからも、しばしば求めてくる人たちに、「あなたは私に何をしてほしいのですか」と問いかけ、その人が信仰告白するのを助けられ、またその人たちを信仰の確信へと導くのでした。
彼らは、イエス様に今夜泊まる場所を尋ねました。イエス様の泊まっておられる所に行って、ヨハネが言った「世の罪を取り除く神の小羊」について、ゆっくりと、あるいは一晩中でも聞きたいと願ったからでした。
39イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は第十時ごろであった。
この日に語られたイエス様のことばは2つだけ記されています。38節の「あなたがたは何を求めているのですか」と、39節の「来なさい。そうすればわかります」です。イエス様の弟子たちに対するやさしいことばでした。二人はイエス様について行きました。
そこは粗末な宿であったと想像されます。イエス様は、弟子になりたいと願ってやってきた人にこう答えました。
マタイの福音書8:20「イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」」
「時は第十時ごろ」でした。新改訳聖書のヨハネの福音書は、原文どおり「第十時」と訳しました。マタイ、マルコ、ルカの福音書と同じように訳すならば、午後4時になります。口語訳、新共同訳は「午後4時ごろ」と訳しています。
午後4時はすでに夕方です。それで、イエス様の泊まる所に行って話を聞こうと思ったのです。どういう話があったのかわかりませんが、イエス様から直接教えを受け、二人の弟子はイエス様が救い主であると信じました。
40ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
ここから4日目になります。二人のうち一人は「アンデレ」でした。「シモン・ペテロの兄弟」とあるので兄か弟かわかりません。
もう一人の名前は明かされていませんが、これは著者ヨハネであると言われています。ヨハネは、この福音書では自分の名前を明かさないので、ここでも自分のことを、「もうひとりの弟子」と書いたと思われます。
41彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った」と言った。
アンデレは、まず兄弟のシモン・ペテロにイエス様のことを話しました。アンデレが前の晩、イエス様から話を聞き、このお方は本当に「メシヤ(訳して言えば、キリスト)」であるという確信を与えられました。
メシヤはヘブル語、キリストはそのギリシヤ語です。意味は「油注がれた者」です。新共同訳は「メシア(油注がれた者という意味)に出会った」と訳しています。
旧約聖書でメシヤ「油注がれた者」は、王、祭司、預言者のことでした。それが、救い主を指すことばともなりました。
42彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」
イエス様はすべて、名前も含め、その人の心の状況をご存じであられたことがわかります。
「ケパ(訳すとペテロ)」。「ケパ」は当時のユダヤで話されていたことばで「岩」という意味です。ギリシヤ語で、岩は「ペテロ」です。
福音書に出てくるペテロは情熱的ですが、衝動的で、挑戦的で、不安定で、意見が定まらない男です。それが岩のような信仰を持ち、イエス様の死後、教会を建て上げていく土台石のような存在になることをイエス様は知っておられ、それで「ペテロ」(岩)と名づけたのです。
イエス様は、アンデレたちに「来なさい。そうすればわかります。」と言われました。
マタイの福音書11:28「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
イエス様の招きのことばから、信仰とは、まわりにいて何だろうと調べ、何かを知ってからイエス様のもとに行って信じるのではないことを教えられます。まずイエス様のところに行くことです。
祈りの中で、みことばを通して、また礼拝をささげている時に、「あなたがたは何を求めているのですか」とイエス様が問いかけていると感じたら、私たちはイエス様のもとに行きたいと思います。イエス様は、「来なさい。そうすればわかります」と答えてくださり、イエス様と共に歩む幸いな人生へと導いてくださいます。
私たちは、そのような御霊の導きを受けて、ここにいることを感謝します。これからもイエス様に従い、歩んでいきたいと思います。
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