ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2015年2月15日


2015年2月15日 主日礼拝説教
「さらに大きなことを見る」〜イエス・キリストの生涯22. 最初の弟子たち2〜(ヨハネの福音書1章43節〜51節)

■はじめに

 バプテスマのヨハネの弟子であったアンデレと、おそらくヨハネの二人がイエス様について行って、一晩、イエス様の泊まられていた所で話を聞きました。二人はイエス様を、救い主としておいでになったお方と信じました。夜が明けると、アンデレはそのことを兄弟のシモンに話しました。シモンもイエス様のところに来て、イエス様に従っていく決心をしました。その時に、シモンはイエス様からペテロ(岩)という名前をいただきました。

■アンデレ

 アンデレはペテロより先に信じ、ペテロをイエス様のところに連れて行ったのに、その後はペテロだけが前面に出て、アンデレはほとんど登場しなくなります。出ても「シモン・ペテロの兄弟アンデレ」として紹介されます。
 アンデレの名が出てくるのは、12使徒のリストを除いて3回です。イエス様が男5000人にパンを食べさせた時、イエス様は弟子たちに、何か食べ物を捜してきなさいと言って、弟子たちを遣わしますが、アンデレは少年を連れて来ます。

ヨハネの福音書6:8、9「8弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。9「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」」

 2回目は、アンデレは、ペテロ、ヤコブ、ヨハネとともに、イエス様にこの世の終わりの前兆について尋ねます。

マルコの福音書13:3「イエスがオリーブ山で宮に向かってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに質問した。」

 もう一つ、エルサレムにやって来たギリシヤ人がイエス様に会いたいとピリポに話すのですが、ピリポはそのことをアンデレに伝え、二人でイエス様のところにギリシヤ人を連れていきます。

ヨハネの福音書12:22「ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。」

 こうしてみると、アンデレは、イエス様のところに連れていく働きによって、イエス様の一番弟子と言われるようなペテロが使徒となり、少年が持っていた5つのパンと2匹の魚からすばらしい奇蹟が行われ、またギリシヤ人をイエス様のところに連れて行ったことによって、イエス様がそのギリシヤ人たちに、有名な説教をするきっかけをつくったのでした。

ヨハネの福音書12:24「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」

■ピリポが弟子になる

 その翌日です。19節から5日目になります。

43その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて「わたしに従って来なさい」と言われた。44ピリポは、ベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。

 イエス様がガリラヤに行こうとされたその途中、「ピリポ」がいました。ピリポは、最初にイエス様の弟子となったアンデレ、ペテロと同郷の人でした。「ベツサイダ」はガリラヤ湖畔にある町です。
 すでにアンデレたちから聞いて知っていたのか、ピリポはイエス様の「わたしに従って来なさい」ということばに、ペテロ、アンデレたちと同じように、イエス様の弟子になりました。

45彼はナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」

 ピリポはすぐに友達の「ナタナエル」に、自分がイエス様の弟子になったことを話しました。旧約聖書が指し示してきた救い主に出会った。それがナザレの人、イエスというお方だとわかったと言ったのです。

46ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」

 当時「ナザレ」はガリラヤの辺鄙な町であり、町の評判もあまり芳しくなかったようです。それにナタナエルは、キリストがナザレから出ることの預言を思い出すことができなかったのです。しかし、ピリポはそのことをナタナエルと議論することなく、「来て、そして、見なさい」と言いました。
 ピリポはイエス様に会ったばかりでしたから、ベツレヘムで生まれたことを知らなかったと思われます。聖書の預言に、救い主はベツレヘムに生まれると書いてありました。

■ナタナエル

 ナタナエルはヨハネの福音書にしか出てこない弟子です。出るのはあと1回です。

ヨハネの福音書21:2「シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。」

 ナタナエルは、使徒のバルトロマイであると言われています。12使徒の名を挙げるとき、ピリポとバルトロマイは同じ組に入れられています。

ルカの福音書6:14「すなわち、ペテロという名をいただいたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、」

 ここから、ピリポから伝道されたナタナエルは、またの名をバルトロマイではないかと考えられています。

■ナタナエルが弟子になる

 ナタナエルは敬虔に誠実に歩んでいた人でした。イエス様はナタナエルの性格について知っていました。イエス様はそれだけでなく、ナタナエルが一人で「いちじくの木の下にいる」ことも知っていました。ナタナエルはそこで祈っていたのでしょう。イエス様は、ナタナエルが語り、考え、行ったことすべてをご存じでした。ナタナエルは、そのことを知らされた瞬間、イエス様がキリストであると悟ったのです。

49ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」

 あなたは罪人を贖うと約束された神の子であり、またイスラエルの諸部族を再び集め、王となるお方であると告白しました。

50イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」

 イエス様は言われました。これだけではない。あなたはわたしがキリストであるというもっと大きな証拠を見るでしょう。

51そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」

 「まことに、まことに」、「アーメン、アーメン」と最初に繰り返すヨハネの福音書にだけ出てくるイエス様のことばで、偉大な真理、厳粛な、強調的な表現を意味します。
 イエス様はナタナエルだけに言われたのではなく、「あなたがた」と言って、あなたのほかのすべての弟子たちも見ますと告げました。これは創世記28章の、ヤコブが旅の途中で経験した出来事です。

創世記28:12「そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。」

 このときヤコブはうそをつき、父イサクの祝福をエサウからだまし取って、兄エサウから逃れている途中でした。野宿し、石の枕しかない、孤独のなかにいました。そのヤコブに、夢から覚めた時に、御使いが傍らにいて、神様が守っていてくださることを知ったのです。ここから、ヤコブは神様の約束を信じ、新しい歩みに入っていったのです。

■いまに見ます

 「あなたがたはいまに見ます」ということは、信仰を与えられ、霊の眼が開かれたなら、神様が御使いを送り私たちを助けてくだっていたことを知るようになること、またイエス様が天に昇られたあと、神様と私たちとの交わりは、イエス様がはしごとなって天地をつなげてくださり、しかもいつも天が開かれていて、いつでも神様との交わりが可能になったことを知ることです。
 私たちもこのような信仰的体験を、信じたらさらに大きなことを見ることができるのです。いつでも自由に神様と交わることができ、天使がそばにいてくれたことを覚えることができるのです。
 孤独や苦しみの中で、石の枕をして休むようなことがあっても、私たちのために十字架で孤独と苦難の道を通られたイエス様が私たちを愛し、救ってくださったゆえに、私たちは「わたしはあなたとともにいる、見捨てない」という神様のみこころを知ることができるのです。
 信仰の目を通して「天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます」と約束された世界を私たちも味わいたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2015年2月15日