ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2015年2月22日


2015年2月22日 主日礼拝説教
「水がめに水を満たしなさい」〜イエス・キリストの生涯23. カナの婚礼〜(ヨハネの福音書2章1節〜11節)

■はじめに

 ここでは3つのことがわかります。イエス様のなさった最初の奇蹟であること、イエス様は結婚を尊ばれたこと、ぶどう酒を飲み喜び楽しむこともいいことであり、またふさわしい時があるということです。
 日本長老教会の結婚式の式文に「願わくは、カナで結婚式を祝われた私たちの主イエス・キリストが、聖霊をとおして、この結婚式にご臨在くださり、誓約をする二人とその証人となる私たちに平安と喜びを与えてくださいますように」とあります。結婚式の式文には、必ずと言っていいくらいに、カナの結婚式をイエス様が尊ばれ、祝福されたことが載せられています。

■カナの婚礼

1それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。

 イエス様とナタナエルが話されてから3日目です。バプテスマのヨハネのところにエルサレムから遣わされた祭司とレビ人がやって来てから(ヨハネ1:19)、ちょうど1週間がたったことになります。
 「カナ」はナタナエルの出身地でした(ヨハネ21:1)。カナはナザレの村から北へ15キロ、歩いて3、4時間ほどの所にある村でした。
 ここにイエス様の母マリヤがいました。マリヤはお客さんというより、花婿・花嫁と何らかのかかわりがあって、ここで祝宴の手伝いをしていたと考えられます。

2イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。

 イエス様はちょうどユダヤからガリラヤに帰って来たところでした。それでマリヤの息子が帰ってきたということで、弟子たちといっしょに祝宴に招かれました。この時の弟子たちは、アンデレ、ペテロ、ヨハネ、ピリポ、ナタナエルの5人であったと思われます。

■ぶどう酒がありません

3ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。

 ユダヤの結婚式は多くの客が招かれ、何日も続くものでした。ですから、ぶどう酒などは余分に用意しておかないと、なくなってしまうことになります。あるいは、この時はそんなに用意できなかった貧しい結婚式だったのかもしれません。
 母マリヤはイエス様に言った「ぶどう酒がありません」は、いろいろ考えられています。マリヤは、突然の出席者であったイエス様と弟子たちに帰るように願ったのではないか。あるいは、ぶどう酒がなくなったことを出席者に知られないように、イエス様に何か人々の心をそらすような話をしてくれるように頼んだのではないか、と考える人もいます。
 イエス様のこれまでの行いやことばによって、イエス様が普通とは違う人であることをマリヤは見抜いていたでしょう。また生まれた時からのさまざまな不思議な出来事を心にとめていたマリヤでした。ですからこれは単純に、イエス様が何かをしてくれるのではないかと、あえて窮状を伝えたのだと思われます。
 バプテスマのヨハネがイエス様について言ったこと、40日間の荒野での生活、弟子たちが集まってきていることなどから、御使いガブリエルが「あなたはいと高き方の子と呼ばれます」と告げたことが明らかになるのではないか。この時がそうではないかと思い、イエス様にぶどう酒がなくなったことを伝えたのでしょう。

■わたしの時はまだ来ていません

4すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」

 この「女の方」という呼びかけに戸惑いを覚えます。怒っているのか、尊敬の思いが欠けているように受けるからです。
 イエス様は、ぶどう酒がなくなったことはすでにご存じであり、どうなさるかも決めておられました。イエス様のみわざを行う時と方法は、イエス様にゆだねなければなりません。マリヤは、そのことを知らなければならなかったのです。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう」は、原文で「わたしに、そして、あなたに、何」と4文字です。私の考えとあなたの考えは別です、という意味でしょうか。そしてイエス様は、「わたしの時はまだ来ていません」と答えられました。
 「安心していなさい」という思いとともに、奇蹟を行うことに期待してはいけないことを穏やかに言われたのはないでしょうか。

5母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」

 そのようなイエス様のことばに対して、マリヤはイエス様が、ぶどう酒がなくなったことに対して何らかのことをしてくれるという思いを持ちました。
 イエス様は時が来たら働いてくださいます。それまで準備をして、用意をして待っているように。それも私たちの信仰のありかたです。

■ぶどう酒に変わる

6さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。

 ユダヤ人の家庭にとって、水がめはごく普通のことであり、洗いときよめの儀式をするため、大量の水が必要でした。
 「水がめに水を満たしなさい。」彼らのすることは、水がめに水を満たすだけでよかったのです。けれども、大量の水でした。くむのは、そんなに簡単でなかったはずです。彼らはイエス様の言うとおりに行動しました。
 縁まで水がいっぱいになりました。確かに水であり、ほかのものが混入することはありませんでした。

8イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。

 このようにイエス様が言われた瞬間、奇蹟が行われました。「水よ、ぶどう酒に代われ」と命じたわけではありません。何も語らず、手も触れず、ただ胸の内で水をぶどう酒になることを考えられただけで奇蹟が起こりました。ぶどうの木を植え、実を実らせ、収穫し、発酵させるというすべての工程を一瞬のうちに行われました。神様は無から有を造りだすお方でした。
 「宴会の世話役」とは、今でいう結婚披露宴の司会者のような人でしょう。世話役はイエス様がなさった奇蹟を知りませんでした。しかし、彼の証言によって、水が質の良い純粋なぶどう酒に変わったことを示しています。もうだいぶアルコールが入っていたころです。悪いぶどう酒を出してもそれがわからないのに、今ごろになって最上のぶどう酒を出すとは、と感心したわけです。

■最初のしるし

11イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

 これがイエス様の最初の奇蹟でした。イエスはこの最初の奇蹟によって、その栄光ある神としての力、メシヤであることを示されました。すでに信じていた弟子たちは、さらにその確信が与えられました。
 イエス様は、「わたしの時はまだ来ていません」と言われました。イエス様の時とは、イエス様の十字架、復活、昇天された時です。私たちの罪が赦されて神の子とされ、永遠のいのちが与えられます。それがイエス様の言われる時でした。
 著者ヨハネは、イエス様の数ある奇蹟のなかから、ほかの福音書では取り上げなかった最初の奇蹟である「カナの婚礼」をしるしとして記しました。
 奇蹟が行われた水は、きよめのための水でした。イエス様の弟子たちは、後にきよめの水を使わない、手を洗わないことで律法学者たちから非難されます。そのときイエス様は、水は外側の汚れだけを洗い落とすのであって、心の罪はきよめの水によってはきよめられないと言って、人間のまことの汚れは内なる汚れであり、それは十字架の贖いによってのみきよめられることを教えられました。
 弟子たちは、このカナの奇蹟の時に、「弟子たちはイエスを信じた」とあるように、イエス様への信仰の確信を与えられたのですが、十字架と復活と昇天の時にはさらに信仰が強められたでしょう。
 イエス様とマリヤとの不思議な会話、「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません」は、マリヤも弟子たちも十字架を見ることによって、その意味が何であったかを知ったでしょう。私たちも、イエス様の十字架の贖いの死によって罪が赦されることを覚え、その確信をさらに与えられて、今週も歩みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2015年2月22日