ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2015年3月8日


2015年3月8日 主日礼拝説教
「新しく生まれなければ」〜イエス・キリストの生涯25. ニコデモとの対話1〜(ヨハネの福音書2章22節〜3章8節)

■はじめに

 イエス様はカナの結婚式に出席され、そのあとカペナウムに行かれ、そして過越の祭りのためエルサレムに上られました。それは、イエス様の公生涯における最初の過越の祭りでした。そこでイエス様は神殿で商売をしていた人たちを追い出され、「わたしの父の家を商売の家としてはならない」と言われました。過越の祭りは1週間続きます。その間の出来事です。

■信じた人たち

23イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行われたしるしを見て、御名を信じた。

 過越の間イエス様は、聖書には記されませんでしたが、奇蹟を行われました。ユダヤ人指導者たちから「しるしを見せてください」と言われた時には何もしなかったのですが、祭りは1週間続きますから、その間いくつかの奇蹟を行ったのです。それを見て、多くの人たちがイエス様を信じました。
 しかしこれらの人たちは、心から信じたわけではありませんでした。信じたつもりになったということです。イエス様は「ご自身を彼らにお任せにならなかった」とあります。

24しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、

 イエス様は、人の心のすべてをご存じであられます。「あの人はこういう人だ」という、だれかの証言を必要としなかったのです。イエス様は全知全能の神様であられます。イエス様は、私たちの忠実さ、偽りのない心を知ってくださるのです。

■ニコデモの問い

 イエス様の行ったしるしによって信じた人のうちの一人がニコデモでした。

1さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。

 最初の過越の祭りでエルサレムにおられた時に、夜、有力なパリサイ人がイエス様のもとを訪れてきました。ユダヤ教のパリサイ派の教師であり、「指導者」とあるのでユダヤ議会の議員だったと思われます。
 パリサイ人とは、聖書の律法と先祖から言い伝えられた定めを厳格に守ることによって神の前に義と認められ、神の国に入れられるようになると信じ生活していたユダヤ教の一派でした。

2この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」

 ニコデモは昼間にやってくることを恐れたか、あるいは恥ずかしかったのです。ニコデモは「私たちは、知っています」と言って話を始めますが、自分の考えをぼかして、みんながそう言っていると語ったものと思われます。ニコデモはエルサレムで行われたイエス様の奇蹟を見て、そのようなことができるのは神様が共にいてくださるからであり、このお方こそ「神のもとから来られた教師」、神からの預言者であると信じました。
 さらに一歩進んで、救い主キリストかもしれないと思い、ニコデモはそのことを確かめるために夜訪ねて来たのです。

■新しく生まれる

3イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

 イエス様は、ニコデモの心にある思いを知って答えられました。ニコデモが知りたかったのは「このお方は私たちユダヤ人が待ち望んでいた救い主かもしれない。それならどうしたら永遠のいのちを得、神の国に、救い主キリストが用意している御国に入ることができるのか」でした。
 イエス様は「まことに、まことに」、アーメン、アーメンと言われました。これは、重要な厳粛なことを言われる時に、イエス様が使う表現です。イエス様は「新しく生まれなければ」と答えられました。「神の国を見る」ためには、ニコデモたちユダヤ人が生まれながらに持っているアブラハムの子孫であり神の民であるという特権は何の役にも立たないのです。ユダヤ人は生まれを何よりも重んじる民族でした。それに対してイエス様は、「新しく生まれる」必要があると語られたのです。
 だれでも、生まれ変わる、上から生まれる(原文、欄外注)ことが必要でした。これは、イエス様が次の説明で「御霊によって生まれる」と言い換え、別の箇所では「神によって生まれる」とも説明される内容です。
 御霊の働きによって悔い改め、キリストの十字架を信じる時、御霊の働きによって人の心は変えられ、神の子にふさわしい者とされていきます。この御霊の働きを「聖霊によるバプテスマ」と言うことができます。バプテスマのヨハネは「この方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方」とイエス様を紹介しました(ヨハネ1:33)。
 救われたいと思い、神の国に入りたいと思うならば、「新しく生まれなければならない」「御霊によって生まれなければならない」のです。

4ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」

 イエス様のことばに対してニコデモは「新しく生まれる」という聖霊の働きについて理解することはできませんでした。しかも「上から」を「再び生まれる」ととったのです。この語は「再び生まれる」とも訳せることばです。

■水と御霊によって生まれる

5イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

 イエス様は「人は、新しく生まれなければ」を、別のことばでさらに詳しく示されました。それは「水と御霊によって生まれなければ」でした。
 「水と御霊によって生まれる」の「水」とは、洗礼のことでしょうか。しかし、洗礼を受けることができなかった人も神の国に入ることができるのです。十字架上で救われた犯罪人がそうでした。
 こう考えられています。洗礼は水で洗うという形式的なものであり、洗礼の時に御霊が働かれること、それを「水と御霊によって生まれる」ことと考えます。また、水は洗礼を表しているのではなく、心をきよめることを表現していると考えます。水が体をきよめるように、「御霊によってうまれ」心をきよめられなければならないと考えます。

6肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

 「肉」とは人間の体の意味であり、また人間の腐敗した性質、肉的性質を示しています。イエス様はニコデモに、新しく生まれることが必要であり、たとい母の胎に入ることが可能で、もう一度新しく生まれたとしても神の国に入ることはできないことを教えられました。
 人は罪によって堕落している存在です。肉によって生まれたものは、すべて生まれながらに罪を持っており、自分の力ではきよくなることができません。きよくなるためには、外からの力、御霊によらなければならないのです。

■御霊の働き

 ニコデモは、新しく生まれるということが理解できませんでした。それをイエス様は、御霊の働きを風によって説明されました。

8風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」

 御霊の働きは神秘的です。理解できないことがたくさんあります。風が思いのまま吹くように、新生も神様の思いのまま、神様の主権的な働きによって起こります。しかも、それがいつ起こるのか、いつ起こったのかわかりません。しかし御霊が働かれたことはわかるのです。
 イエス様の十字架が私たちの罪を赦すためであったことを信じ、それによって永遠のいのち、神の国に入ることができると知り、喜びをもって生活している姿を見る時に、そこに御霊が働いたとわかるのです。
 私たちも、私たちの心に風のように、御霊が働かれて新しく生まれることを体験しました。御霊の風は、今も私たちに御霊の働きを感じさせ、御霊の声を聞きとるようにと働いているのです。私たちは、これからも新しく生まれさせられたことを感謝し、そして御霊の働きによって結ばれる御霊の実を追い求めて歩んでいきたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2015年3月8日