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2015年4月19日 主日礼拝説教
「生ける水を与えます」〜イエス・キリストの生涯30. サマリヤの女との対話1〜(ヨハネの福音書4章1節〜15節)
ヨハネの弟子たちとユダヤ人たちとの洗礼ときよめについての論争が3章22節から始まりました。それがパリサイ人の関心を引くまでになったと思われます。
1イエスがヨハネよりも弟子を多くつくって、バプテスマを授けていることがパリサイ人の耳に入った。それを主が知られたとき、2──イエスご自身はバプテスマを授けておられたのではなく、弟子たちであったが──3主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。4しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。
パリサイ人たちユダヤ教の指導者たちは、バプテスマヨハネの活動が始まったころ、エルサレムから使いを送って「あなたはどなたですか、エリヤですか、預言者ですか」と聞いてきたことがありました(1:19)。その時ヨハネは、自分は荒野に叫ぶ声であり、救い主の道備えにすぎない。私の後から、もっと偉大なお方がやってくると証言しました。
イエスという男がヨハネよりも多くの人をひきつけ、洗礼を授けている。この男がヨハネの言っていた救い主キリストではないか。いやそんなはずがない。神殿で乱暴を働くような男がキリストならば、そんな男は早いうちに排除してしまうに限る。パリサイ人たちがそのような思いに至ったことをイエス様は知られ、速やかにユダヤの地を去ってガリラヤに戻ろうとしました。イエス様は、これまでユダヤを中心に活動しておられて、いまだ自分の故郷であるガリラヤへは十分な宣教を行っていなかったのです。
マタイ、マルコ、ルカの福音書を見ると、イエス様がガリラヤに行かれたのは、バプテスマのヨハネが捕らわれた後であったと記されています。このパリサイ人たちがイエス様に関心を持ち始めた時期と、ヨハネが捕らえられた時期とは、ほぼ同じころだったと思われます。
イエス様も、このままユダヤにとどまっていたら、神様の定められた時より前に殺害されることになってしまうと考えたのでしょう。
南のユダヤから北のガリラヤに向かうためには、ほかの道もありましたが、サマリヤ地方を通り抜けるのが最も早いし、便利でした。
5それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。
「スカル」という町は、「シェケム」の近くであろうと言われています。ヤコブがヨセフにシェケムを与えたことは、創世記48章22節などにあります。
6そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。
スカルに「ヤコブの井戸」と呼ばれる井戸がありました。この井戸については、創世記には書かれていません。ヤコブの祖父であるアブラハム、父のイサクはたくさんの井戸を掘ったことが創世記に記されていますが、ヤコブが掘った井戸については言及がありません。だれが掘ったかわからない井戸を、いつしかヤコブの井戸として語り伝えられたものと思われます。
そこまで来て、イエス様は「旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた」のです。これは、人間イエス様が弱く疲れやすい体を持っておられ、そのような人間に同情してくださるお方であることを示すことばとして知られている箇所です。
時刻は「第六時ごろ」でした。ローマ式に表記したとするならば、そのまま夕方の6時。ユダヤ式に表記したとするならば昼の12時でした。ユダヤ式と考えたほうがいいのではないでしょうか。
これは1章39節にも出てきました。「第10時」とありました。これもユダヤ式として午後4時と考え、夕方であったのでそのままイエス様が泊まっておられる所までついていって、一晩明かしたと考えました。
7ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください」と言われた。
近くの井戸から水をくみあげる仕事は、婦人の大切な日課でした。ところが、このサマリヤの女はどういうわけか、日中の暑い12時ごろに水をくみに来ました。どうしてかはあとでイエス様との話の中でわかりますが、人目を避けていたのです。
その女にイエス様は「わたしに水を飲ませてください」と言われました。イエス様は、この女を救いの信仰に導こうとする話のきっかけに、まず自分から謙遜に水を恵んでもらうことから始められました。
8弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。
ここに、どうしてイエス様がひとりでいたのか、弟子たちがイエス様に水を差し上げられなかったかを説明します。弟子たちは食べ物を買って、夕方近く帰ってくることになります。それは27節からになります。
9そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」──ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである──
サマリヤの女は、イエス様のお願いのことばに驚きました。著者ヨハネの説明にもあるように、「ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったから」でした。また「女の私に」と強調されているように、ユダヤの男からサマリヤの女に水を求めたから、なおさらでした。
紀元前700年ころ、この地域を支配していた北イスラエル王国が当時興ったアッシリヤ帝国に滅ぼされてしまいました。その時アッシリヤがとった政策が、イスラエルの指導者たちを捕囚とすると同時に、その地に外国人を移住させ、純粋なイスラエル民族としての血統を失わせることでした。それらの人たちの子孫がサマリヤ人と呼ばれるようになりました。
しかも、ユダヤ教もそれら外国の宗教に影響されて、サマリヤに異質のユダヤ教が生まれてしまいました。南のユダヤは、紆余曲折はありましたが、聖書に基づき国つくりをすることができました。
そのように歴史的・地理的に最も近い人々であるにもかかわらず、ユダヤとサマリヤは反目しながら、それぞれがアブラハム、イサク、ヤコブの子孫であることを自認していました。
10イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
イエス様は、女からの「どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか」という問いかけから、イエス様に対する興味、好奇心を持たせ、注意を引きつけさせ、「生ける水」について話を始めました。
あなたは神が与えようとしている賜物、神の恵みを知り、またあなたと話している私がキリストであるとわかったならば、あなたは「生ける水」を欲しいと思うようになるでしょう。
「生ける水」とは、イエス様によって与えられる罪の赦し、平安、聖霊の働きによって聖とされていく恵みなどを意味していました。後にパンを求めてきたユダヤ人たちに「いのちのパン」を食べるようにと教えたことと同じでした。
しかし「生ける水」とは、女にとって霊的な意味でなく、「新鮮な水を湧き出させる井戸からくむ水」と、とられてもいいような表現でした。そして確かに女は、澄んだ上等の水を欲しいという願望を持ったのです。
イエス様は、あえて誤解を与えても、次の段階に進むために、女に「いのちの水」に興味を持たせ、求めさせるように比喩を使ったのです。
私たちはイエス様がサマリヤの女に与えようとしていた神の賜物を知っており、そして、それを与えてくださるためにイエス様が十字架にかかってくださったことを知っています。さらに、イエス様を信じて罪を赦していただきたいという願いを与えられました。そしてイエス様が与えてくださる「生ける、いのちの水」をいただくことができました。そのことを覚え、恵みに感謝してこれからも歩んでいきたいと思います。
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