ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2015年5月10日


2015年5月10日 主日礼拝説教
「天の御国は近づいた」〜イエス・キリストの生涯33. ガリラヤ伝道の開始〜(ヨハネの福音書4章39節〜45節/マタイの福音書4章12節〜17節)

■はじめに

 のどが渇いたイエス様と、井戸に水をくみにきたサマリヤの女との対話から、まずこの女の人が信仰を持ち、さらにこの女性が住んでいた町の人たちにイエス様の救いが広まっていきます。

■サマリ人が信仰に入る

39さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。

 サマリヤの女は人々に、今まで自分の犯してきた罪がみなイエス様に知られていたことを話しました。この女の証言によって、サマリヤの多くの人たちがイエス様をキリストとして信じました。
 彼らはイエス様にお会いし、なお滞在して教えを聞きたいと願いました。イエス様はその願いを聞き、そこに2日間滞在されました。その2日間の宣教によって、さらに多くのサマリヤ人がイエス様を信じました。彼らは、その喜びをこのように言いました。

42そして彼らはその女に言った。「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」

 イエス様の活動が始まったこの初期の段階で、ユダヤ人はすでにしるしを見ていたにもかかわらず、ほとんど信仰に入りませんでした。しかしサマリヤ人は短期間に、女の証言とイエス様のことばによって信じました。
 わずか2日間に行われた宣教が後に、使徒の働き8章にあるピリポのサマリヤ伝道によってさらに大きく実を結ぶのです。

■ガリラヤへ行く

43さて、二日の後、イエスはここを去って、ガリラヤへ行かれた。

 サマリヤ人への2日間の宣教活動を終え、イエス様はガリラヤに行かれました。

44イエスご自身が、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と証言しておられたからである。45そういうわけで、イエスがガリラヤに行かれたとき、ガリラヤ人はイエスを歓迎した。彼らも祭りに行っていたので、イエスが祭りの間にエルサレムでなさったすべてのことを見ていたからである。

 イエス様は、イエス様の故郷であるガリラヤの「ナザレ」では歓迎されませんでしたが、ガリラヤの他の町々では歓迎されました。またこの箇所を、「自分の故郷」を神の子としての本来の故郷エルサレムとし、エルサレムでは歓迎されなかったのでガリラヤの行った考えることもできます。
 実際にガリラヤで何があったのかをマタイの福音書4:12−17から見てみましょう。

12ヨハネが捕らえられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。

 イエス様は、ヨハネが投獄されたことを知り、またパリサイ人たちの手から逃れるため、それまで活動していた南のユダヤ地方から離れて北のガリラヤで宣教活動を始めることにしました。

13そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。

 イエス様はご自分の故郷のナザレにしばらく滞在され、そこを去られました。ルカの福音書4章にナザレで起こったことが記されています。イエス様はナザレの会堂で説教したのですが、郷里の人々はイエス様を理解できず、むしろ追い出そうとしました。そこでイエス様はカペナウムの町に住むことになったのです。
 カペナウムはガリラヤ湖周辺にあった町の中で、最も大きな栄えた町でした。イエス様はここを拠点として、ガリラヤ地方とその周辺の宣教にかかられたのです。

■イザヤ書の預言

 このガリラヤで宣教を始めたことが、マタイはイザヤ書9:1−2の預言の成就であったと語ります。

14これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、15「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。16暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」

 ガリラヤ地方は、出エジプトのモーセを継いだヨシュアによって征服された後、12部族のゼブルン族とナフタリ族に与えられた土地でした。それで、この地は「ゼブルンの地とナフタリの地」と呼ばれ、しかもこの地方は異邦人の地に隣接しており、侵略を受け、たくさんの異邦人が住んでいました。
 それで、その地は、南のエルサレムにあるユダヤ地方から見て、闇の中を歩んでいる、死の陰の地に住んでいる所と言われていました。そこにキリストが、光が照るようにやってくるとイザヤは預言したのです。ユダヤの中心地エルサレムに現れてこそ救い主としてふさわしいと思われていましたが、ここガリラヤにまず光が照り始めたのです。
 キリストによる宣教は、エルサレムの律法学者の教えが支配する地ではなく、異邦人とユダヤ人が共に住みつき、純粋な信仰を貫こうとしていた人たちが暮らす、ユダヤの国全体から見たら片田舎と呼ばれるようなところから始まりました。
 そこは、イエス様の教えがガリラヤから始まりエルサレムでの十字架によって明らかにされ、エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、そして異邦人の世界に広まっていくイエス様の教えの出発点にふさわしい地でした。

■天の御国が近づいたから

17この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

 これは、バプテスマのヨハネのことばと全く同じです。「天の御国」は神の国と同じ内容です。神様がご計画された国である神様のご支配が、この地上で見える形で実現したことをイエス様は宣言されました。
 バプテスマのヨハネは、それが間もなく来ようとしているという意味で使いました。イエス様は、ご自分が来られることによって、それが今実現したと語ったのです。
 聖書で言う悔い改めは、「立ち返る」「今までの歩みの向きを変える」という意味が含まれています。私たちの父は神様であることに気づき、その本当の父である神様のもとに帰るように、イエス様は招かれたのです。イエス様は、暗やみを照らす光となって、この世に来てくださいました。

ヨハネの福音書12:46「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。」

 「天の御国が近づいたから。」神様が遠い存在ではなく、私たちのかたわらにあって、私たちの生涯に影響を与えようとしている。私たちにただ中に来てくださり、救いとなってくださる。そのことが始まったのです。
  私たちは今日も、暗やみに光を照らしてくださったイエス様を覚え、私たちの罪を代わりに十字架の死によって贖ってくださったイエス様によって救われたことを感謝したいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2015年5月10日