ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2015年5月24日


2015年5月24日 主日礼拝説教
「歓迎されなかった故郷」〜イエス・キリストの生涯35. ナザレでの宣教2〜(ルカの福音書4章22節〜30節)

■はじめに

 イエス様がガリラヤに帰られ、神の国の福音を宣べ伝え始めました。その最初のこととして、イエス様の故郷であるナザレの会堂での出来事を先週読みました。イエス様はナザレの会堂で、イザヤ書61章のことばが今日実現しましたとお話しされました。そして、ご自分が神から遣わされた「油注がれた者」、キリストであることを伝えました。今日は、それに対する会堂にいた人々の反応と、イエス様の答えを見てみましょう。
 このルカ福音書のこととは別に、ガリラヤ伝道がかなり進んでからもう一度ナザレに来て、会堂でお話しされたと受け取られるような出来事が、マタイ、マルコの福音書に出てきます。そこで、イエス様のナザレ訪問は2回あったのか、いや同じことをルカは順序を変え、別の観点から書いたのではないかという考えがあります。

■ヨセフの子ではないか

22みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか」と彼らは言った。

 人々はイエス様のことばのすばらしさに驚きました。そして同時に、「この人は、ヨセフの子ではないか」と言ったのです。
 この発言は、こんなすばらしい教えを語る先生を、私たちと同じ村の出身であると誇りにしたのか、あるいは、最初はすばらしい教えだと感心したのが、すぐにこの人はヨセフの子、大工のイエスではないかと言ってイエス様に反発したのか、です。
 どうとろうと、結局は、教えはすばらしいと感心したのですが、イエス様が神から遣わされた「油注がれた人」とは信じられなかったのでした。

23イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ』というたとえを引いて、カペナウムで行われたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」

 イエス様はこの時、カペナウムで行ったしるしをナザレでも見せてくれと言われたのです。「医者よ。自分を直せ」というたとえは、ほかでではしるしを見せているのに、故郷のナザレではしないのは、自分を直さない医者のようだというのです。ナザレの人々は、早く自分を信じてもらえるようにしたらどうか。ふさわしいしるしを見せたらどうか、と迫ったのです。

24また、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。

 イエス様は、貧しい人、捕らわれ人、しいたげられている人を受け入れるために来られたのに、故郷のナザレでは受け入れられなかったのです。

■異邦人に与えられる

 さらにイエス様は、歓迎しないのはナザレの人たちだけではない。そのうち、イスラエル人もイエス様を受け入れず、その恵みの福音は異邦人に伝えられることを、エリヤ、エリシャの出来事から示しました。

25わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、26エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。

 これは列王記第1、17、18章に記されている出来事です。イスラエルに3年以上続く大飢饉が起こりました。それが始まる前にエリヤは、「神様がこの地に飢饉を起こす」とアハブ王に告げ、そのまま逃げて、神様に言われたケリテ川のほとりに隠れ住みました。雨が降らなくなっても、エリヤは朝と夕にカラスが運んできたパンと肉を食べ、川の水を飲んで暮らしました。飢饉がひどくなり川の水も枯れた時、神様はエリヤに、外国であるシドンの「サレプタ」のやもめの所に行くように命じられました。
 エリヤは言われたとおり出かけていくと、そのやもめは息子と暮らしていて、あと「かめの中に一握りの粉と、つぼに少しの油」があるだけという貧しい状況の中にありました。エリヤはやもめに、これから雨が降るまでかめの粉もつぼの油もなくならないと神様が約束しておられると告げました。すると、「エリヤを通して言われた【主】のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった」(T列王 17:16)のでした。

27また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、ツァラアトに冒された人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」

 これは列王記第2、5章に記されている出来事です。エリヤの後を継いだ預言者エリシャの時代、外国の「シリヤ」(アラム)にナアマンという将軍がいました。ナアマンは重い皮膚病のツァラアトに冒されていました。ナアマンは預言者エリシャの評判を聞いて、アラム王にイスラエル王への依頼の手紙を書いてもらい、その手紙を持ってイスラエル王の所に、そしてエリシャの所に向かいました。ところがエリシャは、やって来たナアマンに会おうともせず、使いを送って「ヨルダン川へ行って7回体を洗いなさい」と伝えただけでした。ナアマンはその無礼な仕打ちと、言われたことに怒って帰ろうとしました。何か手をかざすなどの儀式もせず、しかも「体を洗え」と言ったヨルダン川は、アラムにある川よりも汚かったのです。
 いったんは帰りかけるのですが、家来たちに言われて思い直し、「ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった」(U列王5:14)のでした。

■怒るナザレの人たち

 この話を聞いたナザレの会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、立ち上がってイエス様を町の外へ追い出し、丘のがけの所まで連れて行き、そこから投げ落とそうとしました。

30しかしイエスは、彼らの真ん中を通り抜けて、行ってしまわれた。

 イエス様は、威厳をもってすばやく人々の間を通り抜けたのです。あるいは、何か奇蹟的なことをイエス様がなさって、真ん中を通り抜けられたと考えることもできます。

■ペンテコステの祝福

 この出来事を通して、福音はイスラエルから異邦人にまで伝えられていくことを、イエス様はエリヤ、エリシャの時に起こったことからナザレの人たちに伝えました。
 また、イエス様は神様のことばをそのまま信じることのすばらしさを教えました。ツァレファテのやもめは、神様のことばを信じた時に、「かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった」という祝福をいただきました。ナアマンも、預言者エリシャのことばを、神様のことばと信じて行った時に、「彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった」という恵みをいただいたのです。
 今日はペンテコステの日です。イエス様の復活からちょうど7週間目、50日目の礼拝になります。この日、祈っていた弟子たちに聖霊が下りました。「すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」(使徒2:4)。
 これは、聖霊の働きによってこれから教会が生み出され、「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで」、異邦人に福音が伝えられていくことを示す約束のしるしでした。それは、このナザレで歓迎されなかったイエス様によって語られたことでもありました。
 このとき与えられた聖霊の働きによって何が起こったのでしょうか。第1に弟子たちを変えたということです。彼らは、人々の前で大胆に、復活されたイエス様を証しするようになりました。
 2番目に、この日ペテロの説教によって、3000人の人が教会に加えられました。教会が聖霊の働きによって始まったのです。
 3番目に、聖霊は教会に宣教の力を与えてくださいました。教会は聖霊の働きによって、爆発的に発展していきます。聖霊が人々を助け、人々はそれによって前進し続けたので、救われる人が増し加えられていったのです。
 ナザレで歓迎されなかったイエス様でした。しかし、イエス様の教えは、サレプタのやもめや、シリヤのナアマンが祝福を受けたように、異邦人まで広がっていくのです。そして、神のことばを信じた者たちに、そして教会に奇蹟のような大きな恵みが与えられたのです。同じ祝福を私たちも受けていることを覚え、今日も感謝したいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2015年5月24日