【福音宣教】 明日は明日が心配する

「だから明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分です」」(マタイ6:34)

20240414

1. インターネットの悩み相談に、元気の出る聖書のことばを教えてください。最近凄く落ち込む出来事ばかりなのでとの質問がありました。すると、「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」 ですね。どんなに悩んでもなるようにしかならない、神様がきっと一番良い答えを出してくださると、お委ねすることにしています。」と回答が返されていました。「正直こんなに回答がつくと思ってませんでした…辛いけど、頑張って今の状況を受け入れて乗り越えようって思えました」と感謝の返信が記されていました。今の状況を受けいれてあるがまま歩もうとこの方は悩みの中で光を得たようです。「心配してもしようがない」とは良く耳にする言葉ですが、「明日のことは明日が心配する」というイエス様の言葉には、より肯定的な魅力を感じます。

2. 皆さんは、くよくよ悩み考え込んでしまうタイプでしょうか。それとも切り替えが早いタイプでしょうか。不安や緊張や焦りを強く覚えてあたふたしてしまったり、落ち込んでしまう傾向が強いほうでしょうか。ある脳科学者(医学博士)は、日本人には不安遺伝子が多いという研究成果を発表しています。不安遺伝子をもっている率は、アフリカ人の3割に比べ日本人は8割に達しているそうです。その理由として、日本は昔から自然災害が頻発し、地震、津波、洪水、台風、火山の噴火など、なんと世界で起きる自然災害の約1/5は日本で起きているそうです。いつ災害が襲ってくるかもわからないから不安感は高まる。いつも警戒していなければならない。災害から身を守り、生き残るためには、早めに対応する必要がある。つまり心配性の人ほど生存率が高い。であれば不安感や心配性はむしろ必要なことであり、長生きできるすぐれた能力なのだそうです。ですから、自分は弱いとか情けないとか思う必要はありませんと解説しています。しかし、予期不安があまりに強いと、過敏に反応してしまうことになります。花粉症と同じでささいなことに対しても過度な反応が出てしまって、落ち込み、抑うつ、不眠、食欲不振、倦怠感、無気力など生活に支障が生じることはつらいことです。

3. 思い煩いへの対処方法

・イエス様は「食べること、着ることで思い煩う(心配する)のをやめなさい」(31)と言われました。イエス様は「思い煩うことを中止せよ」という強い否定の命令形を用いていることに注目しましょう。ある学者は「思い煩うという習慣の中に陥ることをやめよ」と解説しています。

2000年前のイエス様の時代。一般の人々にとって最大の思い煩いは、食べ物、飲み物、着る物のことでした。ユダヤの格言に「生活に欠かせないものは、水と食物と衣類、それに私生活を守る家」(シラ書2927)とあります。今の人ならそれに「スマホ」に「ゲーム」と言うでしょう。

・思い煩う、心配するというギリシャ語は、「いろいろな部分に心が分裂する」という意味で、まとまりがなくなってしまうことを意味します。整理がつかなくなってしまうからどうしたらいいかわからなくなる。わからなくなるからあれもこれもと悪い想像がどんどん膨らんで、明日のこと10年後のことまで心配する。日本語では「心が千々に乱れる」と言い、「様々な思いが入り乱れるようす、いろいろ考えを思いめぐらす様子を意味する」と、実用日本語表現辞典で説明されています。

・カウンセリングではこれを「反芻」しているといいます。牛が食べた牧草を胃からもどして、いつももぐもぐしている状態です。悲観的な思いや動揺させるような出来事や問題をくよくよと考えることを指します。そこで、もし、とめどもなく悩み続けている自分に気づいたら、「もーもーちゃんしている」と客観的に自分を観察してみましょう。心配する自分との距離がとれれば幸いです。

・心配することは悪いことではありませんが、問題は心配しすぎることです。心配することが止められない。止まらない・やめられない、ポテトチップ状態に陥っていることが不安に縛られている実態です。カウンセリングでは「ストップ」と大声を出しなさい。今悩んでいる場所から離れなさい、他の場所に移動しなさい。頭に意識が集中してしまっているから、運動しなさい。身体に意識を持っていきなさいと実際的なアドバイスをします。

・中川健一先生がメッセージで「外洋を航行する大型貨物船は、浸水した場合を想定して、船倉がいくつもの部屋に区切られている。船長は、ボタンひとつで、各小部屋の鉄の扉を閉めることができる。それによって、浸水が広がることを防ぐためである。人生という航海においても、過ちと失敗に満ちた過去という部屋の扉を閉めることを学ぶ必要がある。また、まだ来ていない明日という日に対しても、扉を閉める必要がある。それによって、今日という日を、全力で生きることができるようになる」と語っていますが、的を得た適切な助言だと思います。

日々の生活の中で、どんなに後悔しても二度と再現できない「過去」という部屋の扉も、時間があるかぎり不安が無限に膨れ上がり、想像しているだけにすぎない「未来」という部屋の扉も、ともに閉めることを学びましょう。明日のために良い備えや準備をすることは良いことです。備えあれば憂いなしです。しかし、明日の悩みまで、今日悩んでいたら、今を落ち着いて考えるスペースがなくなってしまいます。こころのオーバーワークにならないよう、労苦はその日一日で十分なのですから。

4. 神の国と義を求めなさい

イエス様は神の国を求め続けなさい(現在命令形)と強調されました。思い煩いにはストップを、しかし神の国を求めることには継続を! このメリハリに注目しましょう。天国のことをいつも思いなさいというのではなく、なによりも神様との正しい関係を回復しなさいという意味の言葉です。創造主である神から遠く離れた生活をしているから、悩みの種がつきない。だから、神のもとに立ち返りなさい。思いわずらいから解放される道はただ一つ。「まず」神のもとに立ち返りなさい。イエス様は、私たちを父のもとに立ち返らすために来られた救い主なのです。

「さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。神の御口からおしえを受け、そのみことばを心にとどめよ。あなたがもし全能者に立ち返るなら、あなたは再び立ち直る(ヨブ2221-23

・イエス様は「わたしのもとに来なさい、そうすれば休ませてあげよう」(マタイ1128)と、「来なさい」と招いてくださっています。これがファーストステップです。

・時々「私、クリスチャンなのに、結構悩んでいます、思い煩っています。心配と不安だらけなんですが、私はダメなクリスチャンなんでしょうか」と、心配するまじめなクリスチャンがいます。ダメなクリスチャンなんていません。みんな父なる神様から愛されている神の子供です。ダメクリもできすぎクリスチャンもいません。イエス様は「信仰の薄い者」(30)と呼びかけています。「信仰が小さい者よ」という意味です。熱心か不熱心か、強いか弱いかではなく、信仰がまだ小さいのです。つまりまだ幼いのです。経験不足なのです。でも大きく成長する可能性が豊かに秘められています。

思い煩いから解放される道は、ただ一つ。神のもとに立ち返り、明日起こるかもしれないと想像することのすべてを神の御手に委ねることです。委ねること、これはクリスチャンが生涯、学び続ける授業です。信仰が大きく成長する秘訣はここにあります。それは、神様への信頼の深さです。

私たちは「明日のことを心配し、思い煩います」でもそれは「明日も生きている、10年先も生きている」と想像しているからです。でも明日、生きているとは限りません。明日も明後日も、生きておられるのは永遠なる神様おひとりです。その永遠なる神が、父なる神として私たちの明日のことを誰よりも心配してくださっているのです。「明日は明日が心配する」、だから安心しましょう。神様に心配していただいているなんて、なんとありがたいことでしょうか。

詩95:7「主はわれらの神である。われらはその牧の民、その御手の羊である。どうかあなた方は、今日、その御声を聞くように」

 

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