2005/8/28(主日礼拝)

信仰の人アリスタルコ
コロサイ4:9−11




序論:アジア福音宣教の立役者である使徒パウロは、コロサイ教会に送った書簡の結びに、主に在る教会の働きや、福音のために労し働く人々の名前を書き記しています。彼らは御国のためにパウロと共に働く同労者であり、パウロの慰めとなりました。中でもアリスタルコはパウロと共に牢屋に閉じ込められるほどまで労苦を分かち合った同労者でした。
パウロは、彼ら同労者たちについて「忠実な聖徒たち。」、「わたしたちと同じ僕。」と呼んでいます。神学者ブルスは、その著書「パウロのそばの人たち」の中で「磁石に鉄が付くのと同じように、パウロの周りには常に信仰の人々が多く集まっていた。」と記しています。
信仰の人であるパウロのそばには常に信仰の人々が集まりました。そして、そのパウロを影で支える多くの同労者たちがいたことを聖書は明記しています。今日は、その同労者の一人、アリスタルコに焦点を当てて、御言葉から学び、共に恵みに与りたいと思います。

1.平凡なクリスチャン、アリスタルコ
 アリスタルコとはどのような人物でしょうか?彼は、教会の一信徒でした。特別、使徒でもなければ、テモテのような指導者の立場でもありませんでした。彼自身、自分の痕跡をまったく残していません。また、彼の細かい行跡を聖書は何も記録していません。彼の人物像について聖書の記述から読み取る事ができるのは「マケドニアのテサロニケ人」ただこれだけです(使徒19:29、20:4)。彼が宣教の働きの為に大きな貢献をしたとか、功績を残したなどの記述は聖書のどこにも見当たりません。以上のことから、彼アリスタルコが、しごく平凡なクリスチャンである事は明らかです。

 名前「アリスタルコ」の意味は、「最善の統治、善い政治」と言う意味を持っています。彼はパウロが第3次伝道旅行の際、エペソでパウロと出会い、福音を受け入れてから後、パウロと共に歩み始めた事が推察されます。
彼の名前は聖書中に五回登場します(使徒19:29、20:4、27:2、コロサイ4:10、ピレモン1:24)。そのどれもに共通するのは「パウロと共に」という事です。上述したように、彼はパウロと共に牢屋に閉じ込められ、パウロと共にむちを受けました(コロサイ4:9〜10、使徒19:29)。

2.いつもパウロと共にいたアリスタルコ
 もし、彼に別名があるとしたら「パウロの影」と呼ばれることでしょう。何故なら、パウロが行く所には常にアリスタルコが影のように従っていたからです。彼は福音を受けた後、一度もパウロのそばを離れることはありませんでした。
一旦、信仰を持ってからというものアリスタリコは、パウロが病む時も、痛む時も、良い時も、悪い時も何処へでも従って行きました。パウロと共にいた、或いはパウロの弟子という理由で不条理にもパウロと一緒に投獄された時も、パウロがローマへ移送される時も一緒でした。兵士達が手柔らに彼らを扱う事など決してなかったでしょう。船で移送中、ユ−ラクロンという大嵐に出会い、あわや海の藻屑となる命の危険にさらされた時もパウロのそばに彼はいたのです(使徒27:2)。

 パウロの晩年は、常に苦汁をなめる日々でした。若さ溢れて、勇猛盛んに働いた時とは違い、老齢になり、身体は弱り果てていました。死が刻一刻と忍び寄り、希望の光が途絶えそうな時でした。それまでパウロに従ってきた多くの人々が彼を離れ去ったことは、パウロにとって最も堪え難い痛みではなかったでしょうか。

しかし、アリスタルコはパウロの使命の重さを悟り、最後までパウロに従い通しました。様々な艱難に遭っても、パウロに従うことを止めませんでした。
彼は、苦難の道をつき進む牧会者パウロが、神様から与えられた使命を最後まで全うする事が出来るよう助け、すべての雑務を担ったと思われます。パウロが、次々と遅い来る艱難の中でも果敢に前進することができたのは、アリスタルコのような同労者が共にいたからです。すなわちパウロの運命とアリスタルコの運命は一つに結ばれていたのです。
アリスタルコは、イエス様を直接見た事はありませんでした。しかし、パウロの宣教によって福音を聞き、イエス様を救い主として信じました。そして、パウロを「神様から遣わされた人、イエス様の真の使徒」と信じ従って行くアリスタルコは、なんと優れた信仰を持っていた事でしょう。パウロと共に苦しみを受け、様々な策略に悩み、寒さと飢えを強いられる状況の中でもパウロのそばを離れないアリスタリコは、全く動かされない信仰の持ち主でした。
彼はこう決心していたのではないでしょうか「自分ような罪人が、もしパウロに会わなかったなら、決して十字架のあがないの恵みに与ることはできなかっただろう。私はイエス様に仕えるように、パウロに仕える」と。

3.殉教者アリスタルコ
 パウロが刑務所に幽閉された時、多くの弟子たちが彼を離れました。デマスは世を愛したために、パウロを捨ててテサロニケに向かい、クレスケンスはガラデヤへ、テトスはダルマテヤへ離れ去りました(第2テモテ4:10)。パウロの福音宣教の初期に共にいた人々が皆パウロを捨てました(第2テモテ4:16)。使徒行伝やコロサイ書、ピレモン書には、パウロは最後まで自分と共にしていたルカとアリスタルコの名を記して書簡を書き送っていますが、ピリピ1:24、使徒27:2、第2テモテ4:11にはアリスタルコの名が記されていません。ただルカだけがパウロと共にいた、と記されています。
この箇所においては、どんな事にもパウロと行動を共にしていたはずのアリスタルコの名がもはやありません。

 言い伝えによればアリスタルコは、パウロが死ぬ前に撲殺されたと云われています。これは、アリスタルコがローマに着いて間もなく殉教したことを物語っているのではないでしょうか。とするならば、アリスタルコを亡くした後のパウロの心境はいかばかりであったでしょうか。苦楽を共にした愛する者がいないのです。もはや、「私の同労者アリスタルコ」と呼ぶ事も出来なくなったパウロの心の苦しみは大変大きなものだったでしょう。後に彼は、刑務所からテモテを呼び「マルコを連れてくるように」と頼んでいます(第2テモテ4:11)。


結論:アリスタルコの人物像に焦点を当てて聖書を読み進めてみると、何とも彼の素朴さが浮かび上がってきます。彼は、テモテのように有能な指導者ではありませんでした。また、華麗な生活を送ることも決してなかったのです。あくまでも彼は教会の一信徒にすぎませんでした。しかし、ここで重要な事は、アリスタルコがパウロの真の同労者であり、慰め人であったということです。彼のような真の同労者がいたことによって神様の御わざが進められてきたという事です。彼は、自分の名を世に知らしめようとはしませんでした。ただ、忠実に神様に従い、牧会者に従い、教会に仕えたのです。確かに彼の功績は記録の中に残ってはいません。しかし、彼の名は、神様の命の書に明確に記されている事でしょう。私たち信じる者も、アリスタルコにならい真の信仰による同労者となりますよう、主の御名を持ってお祈りします。

 


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