カデシのメリバと三兄弟の死 |
モーセ、アロン、ミリアム、彼らが約束の地に足を踏み入れる事が出来なかったのは、「カデシのメリバ」での出来事に起因しています。神様によって召されて、エジプトというこの世を離れ、荒野の教会のリーダーとして立てられ、すべてを尽くして来た者たちが、ゴールを目の前にして儚くも幕切れとなってしまったのは何故なのか。今日、私たちは彼らの失敗から学ぶ事で、同じ過ちを繰り返す事がないようにと教え導かれている事に感謝して、カデシのメリバと三兄弟の死について、聖書を通して学びたいと思います。 1.モーセは一度の不従順のためにカナンの地に入ることができませんでした。 民はモーセにつぶやいて言った、「わたしたちは何を飲むのですか」(出エジプト15:24)この言葉が何度イスラエルの民の口からでたことでしょうか。シンの荒野に辿り着いた時もまた、会衆はモーセとアロンにつぶやきました。「われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている(出エジプト16:3)。」シンの荒野を出立し、レピデムに宿営した時も水がない為に民はモーセに向かってつぶやきました。「あなたはなぜわたしたちをエジプトから導き出して、かわきによって死なせようとするのですか。(出エジプト17:3」 「なぜ!」」「どうして!」「死なせるつもりか!」「エジプトの方がよかった」、「こうなったのもすべておまえの責任だ!、どうしてくれるんだ!」矢継ぎ早に浴びせられる非難囂々の嵐はすべてモーセたちに向けられました。人は果たして何度となく繰り返される不平や不満や非難を長い年月もの間、平静な心で受け止められるでしょうか。 神様は、つぶやくイスラエルの人々に水を与えるためにモーセを呼びました。そして、モーセに、「会衆を集め岩に命じ、水を出しなさい」と言われました。しかし、人々のつぶやきによって、平静を欠いたモーセの心に怒りが生じ、モーセは怒りながら岩を打ってしまいました(民数記20:10〜11)。岩に命じるべきところを、モーセは怒りによって、神様の御言葉を正しく行う事をせずに、岩を打ってしまったのです。そのことによってモーセは神様の御言葉に逆らう罪を犯すことになってしまいました(民数記20:12)。その結果、神様はモーセとアロンに向かって「あなたがたはわたしを信じないで、イスラエルの人々の前に、わたしの聖なることを現さなかったから、この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることはできないであろう。(出2エジプト20:12)」と言われました。これはまさしくイスラエルの人々の不信仰の罪のために、モーセが災いを被ってしまったと言えるのではないでしょうか。(詩篇106:32)。 エジプトの罪に染まった生活を、荒野の旅路で御言葉に従うことによって清算し、いよいよ心を尽くして祈り備えながらカナンの地に入るべき時でした。そして、すべてのイスラエルの人々が過去のすべての罪を悔改め、神様の前に祈るべき時に、彼らは神様に対する不信の罪を犯し続けたのです。そして、それが指導者をも引き下ろす結果となってしまったのです。モーセは、この不従順の罪によってカナンに入る事ができませんでした。不従順の罪とはこのように恐ろしいものなのです。 ミレアムはカナンに入る一年前にカデシの地で死にました(民数記20:1)。アロンはカナンに入る8ヶ月前にホル山に上って自分の衣服を脱ぎ、エレアザルに着せた後、山の頂で死にました(民数記20:23〜29)。そして、モーセはカナンに入る2ヶ月前、モアブの地のベテベオルの谷間に葬られました(申命記34:1〜12)。 カデシの出来事によってイスラエルの三人の指導者がすべて死にました。神様は、次なる指導者にヨシュアを立て、カレブと共にカナンの地に入らせました。これらの事から私たちが学ぶ事、それは「最後まで耐え忍ぶ者が救われる」(マタイ24:13)ということです。
2.カナンの地に斥候を送った背景 モーセの亡き後、ただヨシュアとカレブだけが、エジプトを出た民の中で生き残り、カナンの地に入る事が出来ました。それは、カナンに偵察に向かった斥候たちの内、彼らだけが神様の御言葉に信頼し、従順な信仰を貫いたからでした。 そもそもカデシのバネアに於いて、斥候を送る事になったのも、神様に対する不従順からでした。民数記13章の記述を読むだけでは詳細な背景を読み取る事はできませんが、申命記を読むと、始め神様は、カデシのバネアに到着した際「上って行って、これを自分のものとしなさい。(申命記1:20〜21)」と、直ちにカナンの地に入るよう言われていたことがわかります。ところが、彼らは「われわれは人を先につかわして、その地を探らせ、どの道からのぼるべきか、どの町々に入るべきかを、復命させましょう(申命記1:19〜23)」と言いました。その進言は、一見最もなように思われます。しかし人々の思いの根底にあったものは、神様の力に対する不信に他ならず、人間的な手だてを画策したに過ぎません。 その結果、彼らイスラエルの民は、ヨシュアとカレブを除いた10名の偵察者たちによる否定的な報告を聞き、神様の御言葉ではなく、世の常識に照らして判断しました。そこで、人々は不信と反逆を起こし(民数記13:25〜14:4)天幕で密かにつぶやきました。「主はわれわれを憎んで、アモリ人の手に渡し、滅ぼそうとしてエジプトの国から導きだされたのだ。」と(申命記1:26〜27)。 密かに悪口を言ったからと言って、神様を欺くことなどできましょうか。神様は、その時彼らの不信仰な言葉を聞かれました。そして、ヨシュアとカレブ二人だけを生かして、他の民すべてをこの荒野で倒れるよう定められました(民数記14:22〜24、詩篇106:25〜26)。 そのような不信仰の中でもイスラエルの人々は、以前と変わらず神様は私たちと共にいてくださると信じていたのです。「所詮、人間なのだからつぶやくことも、不平をいうこともある。だからと言って、神様が私たちをみはなしたりするだろうか。」と思っていたのではないでしょうか。しかし神様は彼らを離れ去りました(民数記14:42)。 本来、エジプトからカナンまで一週間もあれば着く距離です。しかし、カデシのバネアでの不信仰のために荒野の世代は皆死に絶えてしまい、結局カナンに入る迄に40年を要しました(申命記2:14〜15)。もし、この出来事さえなかったなら、イスラエルの人々は皆カナンの地に入った事でしょう。不信の罪がこれほど大きな災いをもたらすということを、モーセは残されたヨシュアとカレブ、そして新しい世代を集めて知らせました。
3.メシヤが来るまで 私たちは、神様が定められた救いの御わざを実現させるために、メシヤ(救世主)を世に送り出す様々な過程を、聖書を通して知る事が出来ます。しかし、いつの時代も「不信仰」が神様のご計画を妨げ、その神様の救いの御わざを延ばしてしまいました。あわれみ深い神様は、それでも尚、信仰の血筋を探し出し、メシヤを送る為の通路を開拓され続けたのです。 神様は、不満や不平やつぶやきなど不信の罪を犯したイスラエルの民の代わりに信仰の人ヨシュアとカレブを選ばれました。そして、ヨシュアを指導者に立て、荒野で生まれたイスラエルの人々をカナンに入らせました。そのカナンの地で神様は遊女ラハブにお心を留められました。ラハブはカナン部族の遊女でしたが、イスラエルの斥候を助けた事によって、エリコの町が滅ぼされる中から救いを受けました(ヨシュア6:17〜25)。ラハブは信仰によって斥候をおだやかに迎え入れたためにイエス様の系図に入ることができました(ヨシュア2:8〜11、マタイ1:5、ヘブル11:31)。 ユダは嫁タマルを通して子を得ましたが、信仰の種が入り、やがてメシヤを送り出す管となりました(創世記38:13〜30)。また、モアブびととアンモンびとは主の会衆に加わることが許されていませんでしたが(申命記23:3)、モアブ部族のルツは、自分の神と自分の民を捨てて、イスラエルの民になることを選び、主なる神を自分の神と信じ、後にボアスと結婚しオベデを生んだのです(ルツ4:13〜17)。これらの人々も、神様によって備えられた信仰の管でした。 人類の祖先アダムとエバが神様の前に罪を犯し、エデンの園を追放された時、神様はサタンに対して報復を宣言してこう言われました。「かれはおまえのかしらを砕く(創世記3:15)」と。そして、その時から神様の人類救済の歴史が始まりました。神様は、「預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で語られました。(ヘブル1:1)」このようにして、4000年もの時を経て、やがて救い主であるイエス・キリストがマリアを通してこの世に送られるまでの(マタイ1:18〜25)様々な過程を、私たちは深く深く考えなければなりません。
結論:神様が、お一人子なるイエス様を十字架につけられて人類の救い主となられた出来事は、歴史の一コマなどでは決してありません。私たちの想像も及びがたい程の神様の忍耐と労苦の歴史です。ここまで、私たちに完全なる愛を示される神様に、私たちは何をもって応えられるでしょうか。エジプトであるこの世を離れ、荒野という教会の歩みを一歩一歩進み、カナンである御国を前にしている私たちが、イスラエルの民のように、つぶやきと不平、神様への不信という「カデシのメリバ」に留まることが決してあってはなりません。イエス・キリストの流された尊い血潮と、神様の愛に対し、私たちもまた、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして信仰で応えましょう。皆様お一人ひとりが、神様の喜びである救いの実となりますように、主の御名によって祝福します。
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