幸せな家庭の秘訣 |
序論:幸いな家庭は「小さな天国である」と言えます。「主の祈り」の中で、「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。(マタイ6:10)」と祈りますが、これは、「天の御国をこの地上でも体験することが出来ますように」という意味です。私たちの家庭が平和であれば、天の御国を体験しながら暮らしていることになります。逆に、争いと悩み、苦しみで満ちているならば、それは、まさに地獄での暮らしに等しいでしょう。では、どうしたら私たちの日々の生活が幸いに満たされ、御国を体験しながら暮らす事が出来るのでしょうか。今日与えられた御言葉を通して「幸せな家庭の秘訣」について、共に学びたいと思います。 1. 夫婦の関係 家庭を形成する第一の要素は、夫と妻です。今日与えられた本文に「いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。」(エペソ5:33)と言われています。夫は妻を「自分自身のように愛する」必要があるのです。誰しも自分自身を大切に思っているはずです。 最近は、ウィルビーイング・スタイル(幸福、平安、福祉、福利など、心身共に健康であることを追求する生活スタイル)時代と言われ、自分の体に良い物であれば、どんなに高くても手に入れようとする時代です。それほど自分を大切にし、いたわるように、妻を大切にし、いたわるべき事を聖書は夫に命じています。 さらに、聖書は夫に対して「キリストが教会を愛したように愛さなければならない」と言われています。では、イエス・キリストは、教会をどのように愛したのでしょうか。それは、御自身の命を犠牲にして教会を愛されました(エペソ5:25)。そのように、夫は、妻を自分の命をかけて愛さなければならないのです。 妻に対しては、「夫を畏れ敬う」べきことを言われています(エペソ6:3)。この「敬う」という単語はギリシャ語で「ポベタイ」と言い、「おそれる、尊ぶ、敬い畏れる」という意味を持っています。ここで使われている単語は、神様に対して「畏れ、敬う」時と同じ言葉が用いられています(ルカ18:2、使徒10:2、第1ペテロ2:17)。 まさに妻は、神様を畏れ敬うように、夫を尊敬しなければならないのです(エペソ5:24)。このように、夫が妻を自分自身のように愛し、妻が夫を神様に対するように敬う家庭は、幸いな家庭となる事が出来るのです。両者の関係は、そのどちらかに比重が偏ってはなりません。どちらかでも欠けるなら、それは裁き合う事になるだけで、決して幸いな家庭を築く事は出来ません。夫婦が互いに御言葉に従順する時、その家庭は幸いな家庭となるでしょう。
2.親子の関係 夫婦の次に家庭を形成する要素は、親子の関係です。先ず親に対する子どもの正しい姿勢について、聖書はどのように述べているでしょうか。 モーセを通して神様から与えられた十戒の構成は、第一から第四の戒めまでが人と神様との関係における戒めなのに対し、第五から第十までの戒めは、隣人関係についての戒めとなっています。その中で、子の親に対する正しいあり方が一番先に挙げられている事を私たちは心に留めるべきでしょう。親子の関係を正しく持つ事が、正しい人間関係を築く為に最も重要である事を、私たちに教えているのです。 第五の戒めを読んでみましょう。「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。(出エジプト20:12)」とあります。この「敬う」の言葉は、ヘブル語で「カバド」と言い、意味は、動詞で「重い」、名詞では「肝」という意味があります。肝は、臓器の中で一番重い臓器です。 つまり、子が親に接する態度は、「重々しく接するべし」という事でしょう。最近は、親子の立場が逆転している向きが多く見られますが、それは大きな間違いです。決して親を軽々しく扱う事なく、何事に於いても尊重するべきです。 エペソ人への手紙6章1節に「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。」に続いて2、3節で、「あなたの父と母を敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている。「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう。」と記されています。 この御言葉の中にある「幸福」という言葉は、「盛んだ」、「成功する」という意味が含まれています。つまり、親孝行する子は盛んになり、成功する者となるのです。それだけでなく、地上でながく生きながらえる祝福に与る事になります。まさに、親孝行こそ、幸せな家庭の秘訣なのです。 では、親は子に対し、どうあるべきでしょうか。エペソ人への手紙6:4節に、「父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。」と言われています。親の権威を笠に着て子どもたちを怒らせてはいけないと、いうことです。そして、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育ててなければなりません。 「薫陶」はギリシャ語で「パデイア」と言い、「教育」という意味です。そして、「訓戒」は、同じギリシャ語で、「ヌデシア」と言い、「教え」という意味があります。すなわち、親たる者は、子を主にある教育と主ある教えとによって育てなければならないのです。神様を教育し、神様を教える方法は、聖書以外にありません。(申命記6:7〜9)。 「努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。」 −申命記6:7〜9−
皆様お一人ひとりのご家庭が、神様の御言葉によって一つとなり、喜びに満ちあふれた天の御国を体験する家庭となりますように、主の御名によって祝福します。
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