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迫害ハデスバプテスマパラダイスパリサイ人ハレルヤ反キリスト万人祭司福音プロテスタントペンテコステホーリネス保守派


《迫害(はくがい) [persecution] 》
 迫害とは力によって信仰を圧迫することです。キリスト教の歴史は迫害の歴史と言われるほどに、多くの殉教者の血が流されました。日本も例外ではなく、徳川初期にその嵐が吹き荒れ、世界に例を見ないほどに徹底的な迫害と弾圧が行われました。
 このように一般にはキリスト教の受けた迫害が思い浮かべられがちですが、一旦公認宗教になると、異端の問題が発生して、キリスト教に限らず異端への弾圧・迫害が起きることがあるのも忘れてならないことです。歴史は結局、迫害や弾圧自体が誤りである事を証明しています。聖書は次のように言っています:「異端者は一、二度訓戒を加えた上で退けなさい。確かに、こういう人たちは、邪道に陥り、自ら悪と知りつつも罪を犯しているからである」(テモテ3:10,11)。

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《ハデス [Hades; αδηs(アディス); シェオル(H)]》
 陰府、黄泉とも呼ばれます。“見えない”がその語源ではないかと言われている、“死の居所”という意味で使われたギリシャ語です。聖書にはさらにゲヘナについて述べられていますが、ハデスは肉体の死の後に移される所をさし、神を信じない者が最後の審判の後に落とされる所がゲヘナであると書かれています(黙示20:11-15)。ですから、ハデスが死後の一時的な場であるのに対して、ゲヘナは永遠の処罰の場とされています。
 これに対して、キリストを信じている者は、肉体の死の後、パラダイスに移され(ルカ23:43)、さらに後には新天新地に上げられることが約束されています:「私はまた、新しい天と新しい地とを見た…見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐい取って下さる」(黙示21:4)。

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《バプテスマ [baptism; βαπτισμα]》
 イエスをキリスト(救い主)と信じ受け入れた人が記念として受けるもので、古い自分に死に、イエスの復活にあずかるという意味が象徴されています。このことを聖書は次のように言っています:「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」(ロマ6:4)。キリスト以前にも洗礼はありました(マタイ3:1-17)。これは悔い改めのしるしとしてのバプテスマでした(マルコ1:4)。様式としては浸礼、滴礼、注礼がありますが、聖書的には浸礼を本則とし、他は病床にある人などへのバプテスマとして後に行われるようになりました。

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《パラダイス [παραδεισοs(パラディソス)]》
 神の支配される国。王国、天のみ国とも言われています。新約聖書、特に福音書の中によく出てくる主題で、イエスの教えの中心題目のひとつです。パラダイスは旧約で「ガン・エデン」(=エデンの園)であり、ユダヤ教では終末の時にダビデの子孫から王としてメシヤが現われ、ユダヤ民族を中心として地上に建てられる、この世の王国を意味していました(ゼカリ12:7以下)。イエスが「時は満ちた。神の国は近づいた。悔改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)と言われた時、それがいよいよ近い将来に迫ってきているばかりでなく、既に彼の到来によって実現し始めていることを意味していました。それは再臨によって完成しますが(黙示21章)、その時について私達は様々憶測するよりも、幼子のような心を持って常に備えるべきだと言われました。

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《パリサイ人 [Pharisees, Φαρισαιοs(ファリセオス)]》
 紀元前2世紀頃から台頭し始めたユダヤ教内の有力な一派です。パリサイという名称はヘブル語で「分離」を意味するパラーシュから来ます。事実、彼らは律法に対して厳格でない大衆から自分たちを分離・区別し、旧約聖書の成文律法のみならず、口伝律法も同様に重視し、これらを忠実に実行することを目標としました。その目標は誠実なものであり、腐敗したイスラエルの信仰に対して、ある時期は素晴らしい改革の運動となったのですが、戒律を重んじるあまり形式主義に陥り、やがて偽善的なものとなってしまったので、イエスから譴責されています:「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなた方は、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている」(マタイ23:25)。

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《ハレルヤ(H) [hallelujah]》
 「主を讃めたたえよ」という意味のヘブル語です。古代ユダヤ人はこの言葉を大きなお祭り(過越し、五旬節、仮庵)の時に歌う歌の、始めと終わりに叫びました。それは詩篇106篇などにも見ることができます。また116篇にあるように、主なる神への深い個人的な感謝の祈りの中にも捧げられました。新約聖書ではさらに、天の大群衆がキリストを指す子羊と教会との婚宴に際してハレルヤのコーラスを捧げているさまが描かれています(黙示19:1-8)。この語は歓喜、勝利、感謝の叫びを表し教会の喜びの季節(復活節、降誕節など)に用いられますが、改悛の季節(四旬節)には用いられない慣例です。古来多くの芸術家達にインスピレーションを与え続けていますが、ヘンデルのハレルヤコーラスを聞いた時に起立した英国王ジョージU世に習い、現代でも起立する人がいます。

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《反キリスト [αντιχριστοs(アンディクリストス)]》
 キリストに敵対する人で、キリストの再臨の前に人々の信仰を惑わそうとして出現することが、次のように預言されています:「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない」(マタイ24:4-6)。
 また、次のようにも書かれています:「イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である(1ヨハネ4:3,4)。

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《万人祭司(ばんにんさいし) [universal priesthood] 》
 神と人との仲保者として神に仕え、祭の儀式にたずさわる者を祭司といいます。旧約時代ではこの務めはレビ族にのみ限定されていましたが、イエスが来られた後の新約の時代では、クリスチャンは全て神の祭司であると書かれています(1ペテロ2:5以下)。マルチン・ルターはこのみことばによって、万人祭司を唱道しました。
 私たちは実際に祈りと聖書のみことばを通して、イエス様と直接まじわることができるのです。イエス・キリストはまことの大祭司であり(ヘブル:17;3:1)、十字架による贖いのわざをなし終えた彼を通して、人は神に近づくことができるのです(ヘブル7:24、25)。牧師や長老、執事といった役割分担の違いはあっても、神の前には聖職者と一般信徒という差別は意味をなさず、みな平等であるという聖書の思想です。

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《福音(ふくいん) [gospel; ευαγγελιον]》

ゴスペル


《プロテスタント [Protestant]》
 プロテスタントというのは聖書と福音を独占したローマ・カトリックに抗議(プロテスト)する者という意味です。1517年10月31日マルチン・ルターが免罪符に反対して95か条の堤題をウィッテンベルグ教会の扉に貼りだした事がきっかけで宗教改革の火が諸国に燃え広がって行きました。カトリックには聖書のどこにも見あたらない煉獄の思想、マリヤ崇拝、諸聖人崇拝、免罪符などがあります。なぜこれらの教えがあるのかというと、カトリックの最高権威は聖書だけではなく、外典という書物や伝承、教会会議の決定、法王の教えなどもそれと同等のものとされているからです。つまり、「聖書も」信じるという信仰姿勢ですが、これに対してプロテスタントは「聖書のみ」を真理と信じる立場なのです。

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《ペンテコステ [Pentecost; πεντηκοστη] 》
 ギリシャ語で“50”を表す言葉で、キリスト教では「五旬節(ごじゅんせつ)」と呼ばれています。イエス・キリストが復活してから50日目昇天日から10日後の日曜日に、聖霊が使徒たちの上に下ったことに由来する記念日です(使徒2:1-4)。クリスマス、イースターとともに教会の3大祝日のひとつとされています。これはエゼキエル36:26-27、ヨエル2:28-29に預言されていたことの成就でした。この日聖霊を注がれた弟子たちが異言を語ったことから、現代においても異言を語ることや神癒を求め、洗足を行うことを特徴とする「ペンテコステ派」が20世紀初頭のアメリカに起こりました。日本にもこの系統の教派がいくつかありますが、異言や神癒が聖霊を受けた証拠とするなど、目に見える力の強調という行き過ぎの危険を絶えずはらんでいます。

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《ホーリネス [holiness]》
 道徳的純血や完全を意味します。アブラハムが99歳にしてまだ「アブラム」という名前だったとき、神は彼に現れ「わたしは全能の神である。あなたは私の前に歩み、全き者であれ」(創世17:1)と言われました。そして神は彼に新しい名前「アブラハム」を与えたのです。新たに加わった「ハ」という音は「ヤハウェ」の「ハ」を与えたのだと言われています。ホーリネスは神の御性質を表す言葉ですが、キリストの贖いによりその性質が人間の心に分け与えられるのです。このことを聖化といいます。この恵によって人は神との交わりに加えられる者となるのです。「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか」(ヘブル9:14)。

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《保守派(ほしゅは) [conservatives] 》
 元来は政治学の用語ですが、神学用語として使われる時は、聖書解釈において伝統的な姿勢を重んじる立場をさします。これは聖書を神の霊感を受けて書かれた誤りなき神の言葉とする信仰に立つ立場です。「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え戒め、正しくし、義に導くのに有益である」(Uテモテ3:16)17世紀末から従来の神学に対して自由主義と呼ばれる神学が起こり、教会に大きな影響を与えました。これは信仰は人間が到達し得た科学や経験とくいちがうものであるはずがないとする基本姿勢に立つため、聖書の記述を科学的にのみ理解・説明しようとします。また聖書を人間の手になる断片が編集されたものとみなすため、判断の基準が人間の側にあることになり、聖書を単に人間の信仰を記録した研究対象におとしめました。

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