1   光の年 (元旦礼拝 2006.01.01)
2006年 元旦礼拝
 
あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。
私たちは、夜や暗やみの者ではありません。
テサロニケ人への第1の手紙 第5章5節 
(サンパウロ・ゴスペルハウス2006年 年間聖句)
 
明けましておめでとうございます。
2006年もこうやって、皆さんとご一緒に御言葉を開くことができることを感謝します。
 
サンパウロ・ゴスペルハウスは、2006年を「光の年」と名づけました。
そして、その中心聖句になるのが、今週の聖書箇所です。
 
この手紙の筆者パウロは、テサロニケの人々に対して、「あなたがたはみな、光の子ども、昼の子ども」と宣言しています。
当時の「・・・の子ども」という表現は、「・・・に属する者、・・・の性質を受け継ぐ者」という意味を持っていました。
簡単に言うと、「・・・のような者」となります。
猫の子は猫のようなもので、犬の子は犬のようなものというのと同じような表現です。
ですから、光の子というのは、光のような者ということになります。
 
それでは、光とは何でしょうか?
聖書では、光は神様の聖さを表すときによく使われる言葉です。
また、パウロ自身は、ダマスコへ向かう途中で、天からの光のイエスさまと出会いました。(使徒行伝 第9章)
つまり、光は「神様」「イエスさま」を表すのです。
ですからパウロは、あなたがたは神様のように聖い者、イエスさまのような者と宣言しているのです。
 
しかし、どんなに頑張っても、不完全な人間は、神様基準の聖さに到達できるはずがありません。
もし、自力で到達していると言うのなら、それは思い上がりもいいところです。
 
この矛盾を解く鍵が、イエスさまの十字架です。
イエスさまの十字架の死によって、すべての罪は赦されました。
この救いの光を心に受け入れるならば、イエスさまはその人の心の中にともに住み、心を光で満たします。
また、イエスさまの光がその人を包み、その人は光の中で生きることができます。
ですから、その人は光の子ども、つまり、光(神様・イエスさま)のような者なのです。
そして、心に光を迎え、光に包まれて生きるなら、夜や暗やみの者ではありえないのです。
 
この救い、この光は、当時のテサロニケだけ有効というわけではありません。
現代の私たちにも有効な、永遠の完全な救いなのです。
さらに、この救いは、私たちには何の条件も求めません。
それは、イエスさまの、いのちがけの、一方的な愛なのです。
私たちはただ、その救いの光を受け入れるだけでよいのです。
救いの光を心に受け入れるならば、救いの光が私たちを包むのです。
私たちもまた、光の子ども、光のような者なのです。
 
救いの光・イエスさまとともに生きる喜びを、しっかりと味わっていきましょう。
また、闇の力・サタンの力に対する勝利を、同時に味わっていきましょう。
イエスさまの愛の光を全身に浴びて、光の子ども、光のような者として輝いて生きましょう。
 
あなたのためにお祈りしています。



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