2   世の光 (メッセンジャー08 2006.01.07)
シリーズ メッセンジャーはイエスさま 08
『世の光』 ヨハネ 8:12-20
 
今週の聖書箇所は、第7章から続く、仮庵の祭りの場面での出来事です。
イエスさまは何者かという議論(問答)が、第7章、第8章を通して続けられます。
そして、今週の聖書箇所でイエスさまは、「わたしは、世の光です。」と宣言するのです。
仮庵の祭りという状況や、これを話された場所が神殿の中(婦人の庭の献金箱のある場所)ということに注目することもできます。
しかし、今週は、「世の光」、「わたしに従う者」という12節のイエスさまの言葉に焦点を当ててみたいと思います。
 
光は、元旦礼拝でも話しました通り、神様の聖さをあらわします。
ですから、イエスさまがご自身を光であると宣言したことは、神であると宣言したのと同じことです。
自分たちこそが聖いと思っていたパリサイ人たちが、黙っているはずもなく、議論が始まります。
 
ここで私たちは、イエスさまが「世の光」と言ったことに注目しましょう。
「夜空高くに輝く光」とも、「天にある光」ともイエスさまは言わなかったのです。
イエスさまは地上に降りてきた光なのです。
もっと言えば、私たち一人ひとりと共にいる光なのです。
 
イエスさまは、遠く天の上で私たちを見下ろして、「頑張って聖くなってこっちに来なさい」と言う神様ではないのです。
私たちのところに、私たちのために来た光なのです。
イエスさまは、私たちの罪を赦し、私たちを導き、私たちに神様の愛を気づかせるために来たのです。
十字架は、そのあらわれです。
イエスさまは、世の光です。
この世に示された、神様の愛の具体的なあらわれです。
 
では、そのイエスさまに従うとは、一体、どんなことでしょうか?
それは、道徳的に正しい善いことを一生懸命に守るということではありません。
イエスさまが私たちの所まで来て示してくださった愛に従うということです。
簡単に言うと、イエスさまによって与えられた救いを、代価を払うことなしに受け取るということです。
イエスさまを救い主とし、十字架によってすべての罪が赦されたことに従うことです。
そして、神様の子とされたことに従うことです。
 
この救いの法則、愛の法則に従う者は、もはや光の中を歩む者なのです。
もう、サタンの闇の力は、その人に何の力も及ぼせません。
 
世の光・イエスさまの示された愛の法則に従う者になりましょう。
 
あなたのための光が、天からやってきました。
その光は、愛の光・赦しの光・真実の光です。
この光に顔を向け、光を浴びるなら、あなたは光の中を歩むのです。
愛の中を、赦しの中を、喜びの中を歩むのです。
 
あなたのためにお祈りしています。



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