2006年 最終礼拝 
あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。 
私たちは、夜や暗やみの者ではありません。 
テサロニケ人への第1の手紙 第5章5節  
(サンパウロ・ゴスペルハウス2006年 年間聖句) 
  
私たちサンパウロ・ゴスペルハウスは、2006年を「光の年」と名づけ、この1年間の活動をしてきました。 
そして今日が、2006年の最後の礼拝です。 
  
私は、今年の元旦礼拝で、この箇所から次のようなことをお伝えしました。 
(以下、引用) 
この救いの光を心に受け入れるならば、イエスさまはその人の心の中にともに住み、心を光で満たします。 
また、イエスさまの光がその人を包み、その人は光の中で生きることができます。 
ですから、その人は光の子ども、つまり、光(神様・イエスさま)のような者なのです。 
(引用終わり) 
  
さて、この1年間を振り返ってどうだったでしょうか。 
輝ける日々、輝ける瞬間の連続だったでしょうか。 
この1年を光の子どもとして歩んできたでしょうか。 
  
私自身を振り返ると、365日・24時間そうであったとは言えません。 
確かに、「御言葉の旅-365」が始まって、神様の言葉をいっぱい受けて、輝いている時間は増えました。 
しかし、悲しみや怒りに満たされたり、不安や焦りがあったり、自己嫌悪に陥ったりと、「光の子」ではない自分自身の姿を、たくさん見せ付けられました。 
気楽でのんきを自負している私でさえこうなのですから、まじめな方はもっと悩んで苦しむことも多かったのではないでしょうか。 
  
私たちは落ち込んだとき、心の中の光がなくなったような気がします。 
イエスさまがいなくなったような気がして、イエスさまを追い出してしまった自分を責めてしまいがちです。 
また、自分の不信仰を責め、自分の不甲斐なさを責めてしまいます。 
  
しかし、それは間違えています。 
私たちがイエスさまを見捨ててしまうことはあるかも知れませんが、イエスさまが私たちを見捨てることは決してないからです。 
いったんイエスさまを心に迎えたなら、イエスさまは永遠に私たちとともにいてくれるのです。 
  
心の中にイエスさまの光がなくなったように感じたときは、ただ、光から目を離していただけのことなのです。 
あなたの心の中に、確かに光はありました。 
イエスさまの光は、私たちが光っていると感じたから光っているのではありません。 
光っているという事実があるから、光っているのです。 
そして、あなたは確かに「光の子ども」だったのです。 
  
  
2006年、あなたの心にイエスさまの光がともりました。 
その光は、1年間、輝き続けていました。 
あなたの心は光に満たされ、その光の中で、あなたは輝いていたのです。 
この光は、永遠にあなたから離れることはありません。 
この光とともに生きていきましょう。 
あなたは、確かに光の子どもなのです。 
  
あなたの輝く人生のためにお祈りいたします。 
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