クリスマス2006 03 
『博士たちのクリスマス』 マタイ 2:1-12 
  
今年のクリスマスメッセージは、3回シリーズで、今回が最終回です。 
「宿屋のクリスマス」では、ひっそりと、しかし、しっかりとあなたの人生に与えられるクリスマスの愛をみました。 
「羊飼いのクリスマス」では、呪いと責めから解放し、喜びと賛美の人生を与えるクリスマスの愛を見ました。 
  
今回は、「博士たちのクリスマス」です。 
この東方の博士たちは、天文学の博士か、占星術の博士か、人類学の博士か、聖書には書いてありません。 
しかし、星を見て、ユダヤの新しい王が生まれたことを知りました。 
そして旅に出たのです。 
それは、興味本位、知的関心で始まった救い主への旅です。 
「拝みに」(2節)とありますが、顔を見る程度のことと考えてよさそうです。 
  
ところで、あなたがイエスさまに向かったきっかけ、教会に初めて行くことになったきっかけはなんですか。 
興味本位で行った方もいるでしょう。 
友達に誘われたり、家族にせがまれての人もいることでしょう。 
また、すてきな異性や、食べ物につられて教会に通い始めた人もいるでしょう。 
これは私の教会に行くきっかけでしたが・・・・。 
ともあれ、いろんなクリスチャンが、いろんなきっかけで誕生するのです。 
  
さて、エルサレムに到着した博士たちですが、彼らは拍子抜けすることになります。 
確かに新しいユダヤの王を示す星を見たのに、エルサレムは平穏そのもの、誰も何も気がついていないのです。 
  
しかし、神様は導きをやめませんでした。 
9-10節にこうあります。 
彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。 
すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。 
その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。 
  
神様はときどき、不思議な方法で私たちを導くことがあります。 
出エジプトでは、イスラエル人たちは雲の柱と火の柱で導かれました。 
(御言葉の旅でちょうど読んだところですね) 
博士たちは、星に導かれてイエスさまのところへ来たのです。 
そして彼らは、知的興味における満足を得ました。 
「確かにここだ!星は確かにユダヤの新しい王をさしていたのだ!」 
  
現代の教会も知的満足を与えることはできます。 
何回か礼拝に来て、牧師の話を聞いたら、およその知的満足が得られることでしょう。 
「へえ、キリスト教って、そういう宗教なんだ」 
  
でも、そこで終わりではありません。 
そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。(11節) 
イエスさまに出会ったとき、知的満足以上のものを得ました。 
それは、心からの礼拝です。 
自分の神、自分の王として、イエスさまに礼拝できたのです。 
それは、これからの旅で、自分たちに必要になるだろう宝物すら与えてしまう喜びでした。 
  
そして博士たちは、「夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。」(12節)のです。 
  
彼らは自分の国へ帰って行きました。 
しかし、別の道で帰って行ったのです。 
これは、通って来たところと別の方法で、自分自身を失わずに生きることができることを示しています。 
彼らに、過去に縛られない明日が与えられたのです。 
  
過去は大切です。 
素敵な思い出や経験を私たちに与えてくれます。 
でも、過去に縛られる必要はありません。 
「本当はこうしたかったのに・・・・」、「私は変わりたいんだけど・・・・」 
これは、私たちの切実な思いでしょう。 
クリスマスの愛、それは、過去に縛られない、新しい明日を与える愛なのです。 
  
博士たちの旅は、知的興味から始まりました。 
動機はどうであっても、クリスマスの愛はあなたに新しい明日をプレゼントする愛なのです。 
  
宿屋でのクリスマスの愛は、ひっそりと、しかし、しっかりとあなたの人生に与えられる愛。 
羊飼いへのクリスマスの愛は、呪いと責めからあなたを解放し、喜びと賛美の人生を与える愛。 
博士たちのクリスマスの愛は、過去に縛られない、新しい明日を与える愛。 
あなたの人生に、このクリスマスの愛が約束されているのです。 
イエスさまのお誕生をお祝いしましょう。 
イエスさまとともに、新しい明日をあなたらしくイキイキと生きていきましょう。 
  
あなたの素敵なクリスマスのためにお祈りしています。  
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