シリーズ イエス様と話そう  01  
『金持ちの青年』 マルコ 10:17-27 
  
行いによって永遠のいのちを得ようとした青年にイエスさまはお答えになりました。 
「わたしについて来なさい」(21節) 
しかし、そのためには、富という心の支えを捨てて、神様を支えとしなければならなかったのです。 
彼は富に頼ることをやめられず、イエスさまから去ってしまいます。 
  
イエスさまを通してでなければ、永遠のいのちには達しません。 
私たちは今そのことを知っているのに、ついて来なさいと言うイエスさまの言葉に従いきれません。 
どうしてでしょうか? 
  
そのキーワードは、「天に宝を積む」(21節)です。 
神様の前に宝を積む…「宝」とは何でしょう? 
地上の宝は、富、名声、権力、知識、地位、学歴・・・これはわかります。 
  
では、天の宝は、・・・ 
善い行いでしょうか?施しでしょうか? 
これはちがいます。 
イエスさまの善以外に神様の前に出してかなう善はありません。 
神様を一番とする心でしょうか?信仰でしょうか? 
これもちがいます。 
完全な神様の前では、不完全な人間は、何をしようと、何を考えようと、それは不完全な行動・思いでしかありません。 
不完全な人間の作るもの・することは、完全な神様の前では宝になりえません。 
  
宝は、あなたの存在そのものです。 
人間の中で唯一完全に属するもの、それは神様の作品であるあなたの存在そのもの。 
不完全な人間が作り出したすべてのものを除いて、あなたが神様の前に立つとき、あなたは神様の宝物です。 
神様が創られたあなたこそが、神様の前で愛されるべき宝なのです。 
  
キリスト教は愛の宗教・喜びの宗教といわれます。 
私たちが神様を愛し、神様を喜ぶ。 
でも、その10倍も100倍も10000倍も神様はあなたを愛し、あなたを喜ぶのです。 
神様にとってあなたは、ただいるだけでうれしい宝物。 
  
  
間違った心の支えに頼るのをやめれば、神様の前にそのままの姿で出ざるを得なくなります。 
弱く、小さな存在。 
でも、神様にとって、そのあなたと過ごす時間が宝の時間、大切な時間なのです。 
  
あなたが神様に十分に愛されること。 
それが永遠のいのちへの鍵。 
「ついて来なさい」 十字架によってイエス様が開かれた天国への道。 
あなたは、奴隷のように恐れながら、悔やみながらついて行きますか? 
ついて行くのをやめて、不完全なものに頼りますか? 
それとも、神様の宝として、神様の前に凱旋しますか? 
  
あなたのためにお祈りしています。 
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