本当のクリスマス 
ヨハネの第1の手紙 第4章10節 
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 
(サンパウロゴスペルハウス 2004年 年間聖句) 
  
本日は12月25日、クリスマスです。 
今日は「本当のクリスマス」というテーマでメッセージしたいと思います。 
  
私が数学を教えている中学1年生の男の子に、「クリスマスって知ってるかい?」と聞いたところ、「うん、知ってる」という答えが返ってきました。 
それで「クリスマスって何?」と聞くと彼は、「サンタ!」と答えたのです。 
さらに詳しく聞くと、サンタがプレゼントをくれるお祭りの日ということでした。 
  
彼の認識は、特別に認識が足りないというわけではありません。 
いまや世界中で、クリスマスからキリスト色を薄めるべく、あの手この手がなされているのです。 
NHKのある子供向け番組では「クリスマスはみんなでご馳走を食べる日」と放送しています。 
別の番組では「サンタさんと心が1つになる日」という形容もされています。 
また、若者の間では、クリスマスは恋人同士で高級ホテルに行く日になってしまっています。 
人気のホテルは予約が取れないほどの盛況です。 
  
また、クリスマスという言葉も宗教的ということで、英語圏では Happy Holidays ブラジルでは Boas Festas という言葉にすりかわっています。 
ご馳走を食べ、プレゼントをもらい、高級ホテルでディナーを食べるための日なら、まさに Happy Holidays です。 
しかし、そこにはイエスさまの姿がありません。 
それは本当のクリスマスではないのです。 
  
皆さんも知っている通り、クリスマスはイエスさまのお誕生日です。 
イエスさまの誕生を祝う日なのです。 
イエスさまは、約2000年前にユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。 
ローマの皇帝による人口調査が行われていて、街はごったがえしています。 
マリアとヨセフが泊まった家の客間にも人がいっぱいで、マリアが安心して出産をできるような場所がありませんでした。 
それで彼らは家畜小屋へと案内されます。 
そこでイエスさまはお生まれになったのです。 
  
イエスさまは救い主としてお生まれになりました。 
救い主とは、私たちを救うために自らのいのちを捧げる方です。 
イエスさまは、私たちの身代わりとして死ぬために生まれてきたのです。 
  
私は高校時代、友達にこう言われた事があります。 
「僕は、ただ長生きするためだけに生きてるんだ。」  
なんと無気力なむなしい言葉でしょうか。 
しかし、それ以上に悲しい誕生がここにあるのです。 
そう、イエスさまは、死ぬために生まれてきたのです。 
いまだかつて、死ぬために生まれてきた赤ちゃんがいるでしょうか?  
そんな事があっていいのでしょうか? 
しかし、歴史的事実としてイエスさまは死ぬために生まれてきたのです。 
  
キリスト教は愛の宗教だと言われます。 
博愛主義だといわれます。 
「汝の敵を愛せよ」「世界すべての人を愛せよ」「世界が平和に」など基本のように言われます。 
しかし、「愛せよ」などというのは、いまや誰でも言います。 
キリスト教でなくても、他の宗教家も言います。 
子ども向けの道徳番組のテーマはみんな仲良くです。 
また、「自由・平和」の名のもとに、軍隊を送り、他の国にミサイルを落とす事だってあるのです。 
人間の愛の限界、人間の平和の限界を知らされます。 
  
しかし、キリスト教は、本当のキリスト教はそんなものではないのです。 
限りある人間が、がんばってがんばって力の限り愛する愛の、その何億倍も大きな愛で愛される宗教なのです。 
何億倍も大きな神様の愛に包まれる宗教なのです。 
もうこれは宗教ではありません。 
愛される人生、愛される生き方なのです。 
  
神様は愛です。 
神様は永遠の最初から存在していました。 
そして、そのときから愛だったのです。 
愛というのは、対象がなくては完成しません。 
なので、永遠の最初から、神様は愛を完成させていました。 
父なる神様と、子なるイエスさまと、聖霊様なる三位一体の神様は、完全な愛の交わりを持っていたのです。 
そして、その愛の交わりに加えるために人間を創造されました。 
完全に完成された愛の交わりに、何の努力もなしに人間は招かれたのです。 
  
しかし、人間は罪に落ちました。 
神様からの招きを、愛の招待状を拒否したのです。 
神様はもともと自己完成した完璧な愛の交わりを持っていましたから、人間が拒否しても何の不都合もありません。 
人間的な判断からすれば、不都合ないはずです。 
しかし、私たちの理解を超えた大きな愛の神様は、人間をそのまま放っておく事ができなかったのです。 
それで、イエスさまを救い主としてお送りになったのです。 
完璧な愛の交わりを壊してまで、人間との愛の回復を目指す神様の姿があります。 
また、完璧な愛の交わりから抜け、いのちを捨ててまで愛を回復しようとするイエスさまの姿がここにあります。 
大きな、大きな、大きな愛です。 
  
その愛を受けるのが、私たちの使命です。 
私たちの限界の何億倍もの大きな愛を受けてしまったら、もしもまともに受けてしまったなら、・・・人生が変わります。 
  
イエスさまの誕生をはじめに知ったのは、マリアです。その次はヨセフでしょう。 
そして、その次に知ったのは、羊飼いたちです。 
街の中、家の中で寝ることもなく、羊の番のために野宿していた羊飼いたちです。 
当時のユダヤの中では決して誇れるような仕事ではありません。 
街の人たちからは、見下げられていたことでしょう。 
そんな彼らが、救い主の誕生を聞いたのです。 
聞いただけではなく、直接にお会いしたのです。 
その赤ちゃん救い主は、家畜小屋の飼い葉桶の中で寝ていました。 
  
ふだん見下げられている彼らは、もしも立派な豪邸にイエスさまが寝ていたら、「俺たちには関係ない救い主だ」と考えたことでしょう。 
しかし、イエスさまは飼い葉桶の中に寝ていたのです。 
彼らは神様の大きな愛を、真正面からまともに受けてしまいました。 
そして湧きあがる喜びを抑えきれず、街中に救い主の誕生を知らせに行ったのです。 
ふだん見下げられている事など、どこかへ吹き飛んでしまっています。 
  
そうです。神様の大きな愛に直撃されると、喜びが湧きあがってくるのです。 
それは、すごい勢いです。とどまる事がありません。とめどない喜びの渦なのです。 
クリスマスは、喜びの日です。 
パーティーで喜ぶのではなく、サンタのプレゼントで喜ぶのではなく、ご馳走や高級ホテルで喜ぶのではなく、本当の愛・救い主を受けて喜ぶ日です。 
喜びあがる日です。 
喜び踊る日です。 
これが本当のクリスマスです。 
  
あなたは、神様に愛されるために生まれました。 
あなたが、そのあなたであるために、神様はいのちをかけました。 
それが、クリスマスです。 
あなたの心に入りきらないほどの大きな愛が、今、あなたに与えられました。 
さあ、受けてください。まともに受けてください。 
そして、湧きあがり、あふれかえる喜びに満たされましょう。 
  
あなたのためにお祈りしています。 
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