シリーズ イエス様と話そう 04
『ふたりの犯罪人』 ルカ 23:32-43
十字架にかけられたイエスさまと、同じく十字架にかけられた2人の罪人の会話です。
十字架上の1人の罪人は、苦痛と酔いから攻撃的になっています。
イエスさまに対して「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」(39節)と言ってはいますが、本心はそうではありません。
「この偽キリストめ」という感情がむき出しです。
まわりの雰囲気も彼の感情にあっています。
誰も、イエスさまを救い主として見ていない状況です。
彼は悪口を吐くことによって少しでも苦痛を紛らわそうとしていたのでしょう。
それに対して、もう1人の罪人は、彼をたしなめます。
「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」(40-41節)
十字架にかけられる罪人は重罪人です。
死刑になるのですから軽い犯罪ではありません。
しかも十字架はその中でも特に悪い者のみがかけられるもの。
しかし、彼は今、神を恐れ、自分の罪を認めています。
罪の結果の死についても、甘んじて受け入れています。
彼はすでに十字架上ですから、そうせざるを得ない状況なのです。
罪を認め、報いとしての死に直面し、迫り来る死を直視し、やっとその時イエスさまの聖さに気がついた男なのです。
そして、彼はイエスさまに話しかけます。
「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」(42節)
本当は「助けて!」と言いたいのです。
しかし言えません。
もう遅すぎるのです!
彼は「助けて!」と言えない理由を持っていました。
・自分の罪を知っており、罪が赦されない立場だから
・苦しみを受けなくてはならない立場だから
・二度と生きて血に足をつけることもない悲しみから
・死が目前に迫っているから
イエスさまはお答えになりました。
「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(43節)
史上最初のクリスチャン誕生です。
イエスさまは彼にパラダイスを約束しました。
パラダイス、それは罪の赦し・苦しみからの解放・悲しみからの自由・死から永遠のいのちへの転換です。
もちろん空約束ではありません。
イエスさまは真実なお方です。
罪人の彼に人生の大逆転がおこりました。
それは、彼が何かをしたからではありません。
十字架上の彼は、身動きできず、何もできない状況にあるのですから。
彼がした唯一のことは、イエスさまを救い主として受け入れる信仰です。
しかも死の直前に、いや、社会的にも精神的にもすでに死んでいるような状態の中にです。
あなたが今、どんな状況であっても、イエスさまの十字架は変わりません。
救いはそこにあります。
私たちが自分の十字架を背負い、苦しみ、悲しみ、罪の奴隷となり、死にとらわれた時、イエスさまはそのとなりにおられます。
「もう遅い!遅すぎたんだ」 そんな事はありません。
あなたの苦しみ、悲しみ、罪からの責め、死の恐怖、すべてをイエスさまにゆだねましょう。
十字架上の罪人におこった人生の大逆転は、今、あなたにもおこるのです。
イエスさまの十字架は、死ぬための十字架ではなく、与えるための十字架です。
苦しみの中にいる者に、慰めと愛を!
悲しみの中にいる者に、希望と喜びを!
罪にとらわれている者に、罪の赦しを!
死を恐れている者に、永遠のいのちを!
あなたのためにお祈りしています。
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