06年 8月 6日
「生きている信仰」
詩篇 50篇7〜14節
形だけの信仰でさも信仰があるかのようにふるまうことに
対して、イエスは容赦されなかった。世間で賞賛を得られ
そうな捧げ物や礼拝行為よりも、捧げる者の内側に信仰が
生きているか否かをきびしく問われた。この詩篇の作者は、
豊かさで満ちている神に何を捧げるべきかかを民に問う。
供え物か感謝か。聖書を通してイエスの十字架が示される
とき、私たちは神の誠実さを目の当たりにして驚くことになる。
その事実が自分のようなものに対してであることを知るとき、
人はただただひれ伏して感謝を捧げるしかないのだ。