礼拝500字メッセージ
---ある出席者のレスポンス---

08年 3月30日

「エマオへの道」
ルカの福音書 24章13〜35節

キリストの誕生も十字架の処刑についても歴史的に語ることは可能だ。
しかしキリストの復活についてはそうはいかない。当初、キリストの弟子
や身近にいた者たちも信じられなかったことが聖書には強調されている。
キリストの受難と復活について幾度も聞かされていたにもかかわらずだ。
エマオの途上にあったクレオパたちは落胆と失望そして混乱の中に
あった。眼前でなされた残酷で惨めなキリストの十字架刑ですら、
彼らにとっては受け入れがたいことだった。そして今朝ほどの女たちの
キリストの復活の報告である。信じたいが信じ難い。そのクレオパたちに、
復活のキリストは寄り添い語りかけた。キリストは、彼らの目が開かれる
そのときまでともにいて導いてくださったのだ。キリストの復活は今も昔も
変わりなく、信じ難いことだ。人の乏しい思考能力では到底無理なのだ。
クレオパたちを導いたのと同じように、神は私たちに語り掛け導いて
くださる。これを神の恵みと言わずして、他になんと説明ができようか。

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