礼拝500字メッセージ
---ある出席者のレスポンス---

08年 5月11日

「聖なるものとされる」
ヘブル人への手紙 10章10〜14節

私たち日本人は『お浄め』また『お祓い』を昔から大事なこととしてきた。
文字通り、外から降りかかって来る罪やけがれを『祓い』『浄め』ようとする
のが日本神道の慣わしだ。その点、仏教では人間の内面や心の問題を
より深く取り扱う。そして罪けがれは、煩悩の消滅すなわち涅槃を得ること
で解決されるとする。
しかし、現実はどうなのだろうか。私たちには、救い手、助け手がどうしても
必要なのだ。それは一方的に真の神によってもたらされた。キリストイエス
の十字架による救いを信じる人を神は『聖なるもの』としてくださった。
私たちは、ただそれを感謝して受ければよいのだ。これが聖化の第一段階
だ。その感謝が大きければ大きいほど、私たちはもっと神のご用のために
用いられるようにと願い求める。神によって『聖なるもの』とされている
私たちは、日々悔い改め、罪から離れる戦いをし、すべての人との平和を
追い求めていく。すべては、助け手である御霊なる神がともにいてくださる
がためにできることだ。これが聖化の第二段階と呼ばれる。
こうして地上の人生を歩んだ私たちは、ついに神と対面することになる。
そのとき聖化は完了することになるのだ。

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