09年 8月30日
「心の割礼こそ」
ローマ人への手紙 2章 17〜29節
「どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。」(ローマ2章21節)。
このみことば、牧師にとって身につまされる一言である。牧師を続ける中で、
要領を得て、牧師らしく外見上は振舞うことが出来ても、内実が伴っていない、
自らの弱さを思う。しかし、この問題は、牧師だけでなく、今日の私たち
クリスチャンにも当てはまることだろう。かつて洗礼を受けて、クリスチャンと
なったにも関わらず、今、神のみことばに従順に従って歩んでいるだろうか。
しかし、そこまで厳しく追求されたら、私たちは着いて行くことが果たして
出来るのか。でも、私たちには救いの道がある。29節に「御霊による、心の割礼
こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」とある。
ここに、「御霊による」という。御霊は神ご自身であり、この御霊が私たちのうちに
宿り、私たち人間の力では、神のみことばに従うことが出来なかったが、この御霊
の力によって、みことばに従うことが出来るようにされる(ローマ8章9節-14節)
御霊に満たされるように祈りましょう(エペソ5章18節)。
下館教会 菅野 淳一
先週の500字メッセージ
次週の500字メッセージ
牧師による礼拝500字メッセージTOPに戻る
泉キリスト教会TOPに戻る