「勝浦市野々キリスト・バプテスト教会の歴史」
勝浦市野々キリスト・バプテスト教会は、もともと、勝浦キリスト・バプテスト教会と、市野々キリスト・バプテスト教会という二つの別々の教会でした。
二つの教会とも、アメリカのバプテスト・ゼネラル・カンファレンスという宣教団に所属する、ハリス・ヤンクエスト宣教師という宣教師が開拓した教会です。
1950年に来日したヤンクエスト宣教師は、教会の少ない和歌山県で宣教を行なうという宣教団の方針で、1951年に勝浦で開拓伝道を開始します。
勝浦では漁業協同組合の建物の2階や、幼稚園の建物を借りて、集会を行なっていました。
また、ヤンクエスト宣教師の伝道によって信者となった二河良英さんの住まいが市野々にあったことから、市野々の二河さんの家でも集会が行なわれました。これが市野々教会の始まりです。
初代の日本人牧師である藤原孝行牧師が、1960年に勝浦に赴任してから、会堂建設の機運が出てきました。
この当時、市野々にあった三菱鉱山が廃鉱となり、事務所の建物や、社宅などの廃材の払い下げが行なわれました。
市野々教会や勝浦教会の会堂は、この廃材で建てられたのです。
熊野那智大社の地元に十字架が立つ。これが、市野々教会の大きな意義だったと言えます。
藤原牧師の後を引き継いだ木森隆牧師、瓜生正彦牧師、稲葉禮野牧師も、勝浦と市野々を兼牧して、両方の教会で集会を行なってきました。
しかし、市野々での集会出席者数が減少してきたことから、2015年勝浦教会と市野々教会が合同し、勝浦市野々キリスト・バプテスト教会となったのです。 その後、2019年の台風で市野々会堂の屋根が破損したことから、2020年に市野々の会堂は取り壊され、今は会堂跡地に記念碑が残るだけです。