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ナザレのイエスこそ主である(その生涯と十字架)

使徒の働き2章22-23節

説教メモ

 

1.イエスの生涯

ペテロは、ナザレのイエスの生涯を思い起こさせます。

病人を癒したり、2匹の魚と5つのパンで大勢の人の腹を満たしたり、、。

一つや二つではない奇跡の数々は、人が成せる業ではなく、神のみが成せる業だと。

イエスこそが、イスラエルの人々が、ずっとずっと待ちに待っていた約束の救い主メシアなのだと、、、。神様が奇蹟によってそれを証明されました。

 

2.十字架

イエスは十字架にかかって死なれました。直接手を下したのはローマ兵、それを先導したのはユダヤ人の指導者たちでした。しかしペテロは、十字架にかけたのは、”あなたがた”だとイスラエルの人々を罪に定めます。

神の基準は人の心にあります。実際に手を下していなくても、そうなるように企てていなくても、イエスを憎んだ者、拒んだ者、心の中で彼を排除した者がイエスを十字架にかけたのです。

 

ペテロは人々の心の罪を明らかにした後、神様のご計画について話しました。イエスの十字架の死は、ローマ兵やユダヤ人の指導者たち、そしてサタンの勝利を意味しません。それは神様のご計画と勝利であり、イエスが死までも神様に従われたのです。自ら、喜んで。

神様はイエスの十字架によってこの方が救い主であることを証明されました。

 

聖書は人の罪とともに神様が全ての主権者であることを教えている。

 

一言

私たちは何によってイエスが救い主であると信じているのでしょうか。その「生涯」が、「十字架」がそれを実証しています。

そして「ナザレのイエスこそ主であること」の実証は「復活」と「昇天」に続きます。

上総キリスト教会

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