インマヌエルの約束

礼拝説教「インマヌエルの約束」

2020年11月29日 アドベント第1週 動画はこちら

聖書 イザヤ書7章1~14節、マタイの福音書1章18~25節

(序)本日より、アドベントに入ります。本日は、イザヤの語ったインマヌエル預言から見たいと思います。

  • 心動揺する危機的状況の中で

 インマヌエル預言は、危機的状態を背景にして与えられた預言です。1~2節にあるとおり、スリヤの王レジンとイスラエルの王ペカが、エルサレムを攻めたのです。BC738年、アハズがユダの王として即位した時、スリヤとイスラエルは、ユダと共に三国同盟を結び、アッスリア帝国から独立しようとしたのです。しかし、アハズは拒んだので、エルサレムに攻めてきたわけです。ユダの王アハズとエルサレムの住民は恐れ動揺しました。王の心も、民の心も「林の木々が風で揺らぐように動揺した」(2)というのです。アハズは慌てて、エルサレムに水を供給する水路を調べに行きます。その時、イザヤは、主によって、長男のシャル・ヤシュブ(「残りの者は帰って来る」の意)を連れて、上の池の水道の端でアハズに会うようにと命じられます。そして、インマヌエル預言を語ったのです。すなわち、インマヌエルの約束は、危機の時のために与えられたのです。

  • 一つのしるし

 イザヤの長男の名前が暗示しているように、残りの者は帰って来るんだ。滅ぼされることはない。主に信頼しなさいというのがメッセージでした。イザヤが託された神のメッセージは、「気をつけて、静かにし、恐れてはならない。心弱らせてはなりません」ということでした。「気をつけて」とは、「守る、見守る」というような意味の言葉が使われています。すなわち、ジーッと事の成り行きを見守り、信仰の目をもって、神のみ業に注目しなさいということです。危機の時に、私たちはどのように平静でいることが出来るでしょうか。木々が風で揺らぐように心が動揺してしまうのではないでしょうか。しかし、主は、「気をつけて、静かにし、恐れてはならない。心弱らせてはなりません」と言われます。慌てないで、今こそ神に立ち返り、しっかりと心の平静さを保ち、主なる神に信頼するようにと言われるのです。しかし、アハズは、沈黙し突っ立っています。彼の場合の沈黙は、不信の沈黙です。その沈黙を破って、イザヤは再び主の言葉を告げます。「一つのしるしを求めよ」というものでした。ところが、アハズは断ります。慇懃に断っているようですが、彼の腹積りは決っていました。Ⅱ列王記16章に詳しく記されていますが、アハズは、アッスリア帝国という人間的力に助けを求めたのです。それでもなお、主は、一つのしるしを与えて下さったのです。それが、インマヌエル預言です。乙女がみごもって男の子を産み、その子の名を「インマヌエル」と名づけると言うのです。「一つのしるし」とは、なされた預言が必ず成就するという証拠であり、象徴であり、保証です。

  • インマヌエル

 救いの約束のしるしとして与えられたのが、「インマヌエル預言」です。すなわち、「神我らと共にいます」というメシアの出現の約束を与えて下さっているのです。インマヌエルなるメシアが現われるまで、ダビデの家系は保たれるというのです。そして、その成就が、イエス・キリストの誕生です。マタイ1章22節に「このすべの出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった」とあり、イザヤ書7章14節が引用されています。それは、主イエス誕生の700年以上前に、イザヤによって告げられた預言です。クリスマスの出来事は、突然の思いがけない出来事ではなくして、預言に預言を重ねられて、ついに時が満ちて成就した出来事です。そこに救いの確かさがあります。「インマヌエル」、聖なる神が、汚れた塵灰に等しい私たちのうちに来て、人として受肉して下さり、我らと共にいますと言うのです。主は、私たちの経験するすべての苦しみ、痛みを味わってくださり、その中から、私たちを救い出すために人となってくださったのです。イザヤ書57章15節。

(結論)このアドベント、そしてクリスマス、インマヌエルなる主を仰ぎつつ歩ませて頂きましょう。