御名の栄光のために

礼拝説教  「御名の栄光のため」  2020年11月22日 動画はこちら

聖書 詩篇79篇1~13節

(序)本日は、詩篇79篇よりお話し申し上げます。次週よりアドベントに入りますので、詩篇からのメッセージは、ひとまず本日までといたします。

一、世の勢力が力を増し、襲いかかるとき

 本篇もアサフの歌であり、国が滅び、バビロンに人々が連れて行かれ、捕囚となっている時代の歌です。バビロンの侵入によって国は滅び、エルサレムの町は焼かれて廃墟となり、おもだった人々はバビロンに連れて行かれています。神の神殿さえも焼失するという悲惨な状況に、詩人は立たされてこの詩を歌っています。聖なる宮は汚され、エルサレムは廃墟と化し、多くの血が流され、聖徒たちのしかばねは放置され、空の鳥や野の獣の餌食となっています。まさに、世の勢力が力を増し、容赦なく襲いかかっている状態です。

4節にあるように、詩人は、「私たちは隣人のそしりとなり、まわりの者のあざけりとなり、笑いぐさとなりました」と嘆いています。

二、「いつまでですか」と現状を訴える

 詩人は、国が滅び、エルサレムが廃墟となる中で、「いつまででしょうか。あなたは、いつまでもお怒りなのでしょうか」(5節)と主に向かって嘆きの声をあげます。そして、「先祖たちの咎を、私たちのものとして、思い出さないでください。あなたのあわれみが、すみやかに、私たちを迎えますように」(8節)と祈っています。今置かれた現状を訴え、すみやかな神のあわれみを求めているのです。

今全世界が新型コロナウイルス感染拡大のために、苦しみ、悩み、不安を抱えています。このように状況の中で、「いつまでですか」というのが私たちの日々の祈りではないでしょうか。

 10節、12節を見ると、「流された血の復讐が、私たちの目の前で、国々に思い知らされますように。…あなたをそしった、そのそしりの七倍を私たちの隣人らの胸に返してください」と恐ろしいばかりに激しい言葉があります。それの激しさは、1~4節の目をおおいたくなるような亡国の惨状ゆえに、湧き出した激しさです。

三、御名の栄光のために

本日の中心聖句は、9節です。詩人はまず「私たちの救いの神よ」と呼びかけます。何が起こり、どのような状況に置かれようとも、詩人の根底には、「主は、私たちの救いの神である」という動くことのない信仰があるのです。

詩人は、「御名の栄光のために、私たちを助けてください。御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪を赦してください」と祈っています。詩人は、今このような惨めな状況に立ち至ったのは、自分たちの罪のゆえであることを覚え、神の赦しを願っているのです。私たちも、困難な状況に囲まれたならば、まず自らを探っていただき、悔い改めるべきところがあれば、悔い改めることが大切です。悔い改めるべきことをそのままにして、先に進むことは出来ません。

 続いて詩人は、「御名の栄光のために、私たちを助けてください。御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪を赦してください」と祈っています。「御名の栄光のために」と「御名のために」に注目していただきたいと思います。詩人は、救いと赦しの根拠を、自分たちの何かにではなく、「御名の栄光」と「御名」に置いているのです。すなわち、私たちの救い、私たちの助けの根拠は、神様ご自身にあるのです。

 イザヤ書43章7節、25節をご覧ください。ここには、神が私たちを造られたのは、ご自身の栄光のためであり、また私たちが罪赦されたのも、ご自身のためであることが述べられています。

ヨハネの福音書11章4節をもご覧ください。ここは、主イエスが、ラザロの病気であることを聞いたときの言葉です。ラザロの病、そして死でさえも、神の栄光のためのものだと言われています。そして、死んで葬られ、四日もたったラザロを、主イエスはよみがえらされました。主イエスは、マルタに言われました。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか」(ヨハネの福音書11章40節)と言われます。

最後に、もう一度、詩篇79篇13節をご覧ください。全くの荒廃と暗黒の中にも、詩人は、自らが「神の民、神の牧場の羊である」という信仰に立っているのです。絶望のどん底にありながらも、詩人は、そこに希望を見出し、嘆きから感謝と賛美へと向かうのです。「私たちは、とこしえまでも、あなたに感謝し、代々限りなくあなたの誉れを語り告げましょう」(13節)と主を賛美するのです。

(結論)私たちも新型コロナウイルスの禍の中にあって、御名と御名の栄光のために、主は私たちを救い助け出してくださると信じて、感謝と祈りと賛美をささげて参りましょう。