礼拝説教 「主を待ち望む」 2020年11月15日 動画はこちら
聖書 詩篇27篇1~14節
(序)先週は、詩篇27篇の7~10節に焦点を絞り、「御顔の輝き」という事でお話させていただきましたが、詩篇27篇全体を取り上げる必要を感じましたので、この朝は、再度、詩篇27篇よりお話いたします。
一、恐れない(1~3節)
1節に、「主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで、だれを私はこわがろう。」とあります。ダビデに向かって、敵が襲いかかり、戦いを挑み、陣営を張っています。危機的状況です。しかし、そのような中にあっても、ダビデは、「恐れない」「こわがらない」「動じない」と言うのです。主が、「光」であり、「救い」であり、「いのちのとりで」であってくださるからです。いかなる暗黒の中にあっても、主は、光であって下さいます。ヨハネの福音書1章5節に「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」とあり、同福音書8章12節には、「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」とあります。どの様な困難の闇に囲まれようと、主イエスは「いのちの光」となってくださって勝利と守りを与えてくださいます。実に、主は、「救い」であり、「いのちのとりで」であってくださいます。あらゆる危険から私たちのいのちを守り、救って下さる方です。ですから、「恐れない」「こわがらない」「動じない」と言うことができるのです。
二、主の御顔を求める(4~10節)
4節をご覧ください。ダビデは、「一つのことを主に願った」と言っています。私たちが、一つのことを願うとすれば、何を願うでしょうか。ダビデは、主の家に住み、主の麗しさを仰ぎ見ることを求めています。「それは、主が、悩みの日にダビデを隠れ場に隠し、幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を高く上げてくださるからだ」(5節)と言うのです。そこには、信頼と喜びと賛美が満ち溢れています。
さらに7節で、「聞いてください。…答えてください」とダビデは、主に向って叫んでいます。そして、心の中で、自問自答し、「わたしの顔を、慕い求めよ」と主が言ってくださる、だから、ダビデは、「あなたの御顔を私は慕い求めます」と信仰の応答をするのです。さらにダビデは、「御顔を私に隠さないでください。…あなたのしもべを…押しのけないでください。…見放さないでください。…見捨てないでください。」と主に向って叫んでいるのです。讃美歌528番の1節、4節にこのように歌われています。
1、神の秘めたもう ところに隠れ
み助けうくるは いかに楽しき
悪魔のたくみも 世のわずらいも
知らずして過ぐる 身のうれしさよ
4、さだめなき雲の うき世をすてて
神の秘めたもう ところにゆけば
めぐみの御顔の ただあおがれて
とうときみ姿 うつるもうれし
どのような困難に囲まれる時にも、「神の秘めたもう所」に隠れさせていただき、「めぐみの御顔」を絶えず仰ぐものとして頂きましょう。
三、主を待ち望む(11~14節)
Ⅱサムエル記15章30節に書かれているように、ダビデは、息子アブサロムの叛逆によって、エルサレムを追われ、ケデロンの谷を泣きながら渡って行かなければなりませんでした。それは、ダビデにとって非常に辛く苦しい時でした。11節に「あなたの道を私に教えてください。…私を平らな小道に導いてください」とあります。ダビデは、主の安全な小道に導いてくださいと祈り願っているのです。
13節の「ああ、私に、生ける者の地で主のいつくしみを見ることが、信じられなかったなら―」は、仮定法であり、「信じられなかったなら―いや信じます」と言うことです。ですから、新共同訳では、「わたしは信じます。命あるものの地で主の恵みを見ることを」となっています。
そして14節で、ダビデは、「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。」と自らの心に語っています。このみことばは、この詩の中心的主題であり、結論です。私たちは、このみことばによって、どんなに励まされることでしょう。私たちが主を待ち望む時に、主は、私たちの心を強め、勇気と力と信仰を与えてくださるのです。
(結論)御顔を慕い求め、主に信頼して歩みましょう。心を強くし、主を待ち望みましょう。