聖書箇所 マルコの福音書152141
5:21 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、
シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、
彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。

15:22 そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、
「どくろ」の場所)へ連れて行った。

15:23 そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒を
イエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。

15:24 それから、彼らは、イエスを十字架につけた。
そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、
イエスの着物を分けた。

15:25 彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。

15:26 イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王。」と書いてあった。

15:27 また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、
ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。

15:28 [本節欠如]

15:29 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。
「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。
15:30 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」

15:31 また、祭司長たちも同じように、
律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。
「他人は救ったが、自分は救えない。

15:32 キリスト、イスラエルの王さま。
たった今、十字架から降りてもらおうか。
われわれは、それを見たら信じるから。」
また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちも
イエスをののしった。

15:33 さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、
午後三時まで続いた。

15:34 そして、三時に、イエスは大声で、
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。
それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしを
お見捨てになったのですか。」という意味である。

15:35 そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる。」と言った。

15:36 すると、ひとりが走って行って、
海綿に酸いぶどう酒を含ませ、
それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。
「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、
私たちは見ることにしよう。」

15:37 それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。

15:38 神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。

15:39 イエスの正面に立っていた百人隊長は、
イエスがこのように息を引き取られたのを見て、
「この方はまことに神の子であった。」と言った。

15:40 また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。
その中にマグダラのマリヤと、
小ヤコブとヨセの母マリヤと、またサロメもいた。

15:41 イエスがガリラヤにおられたとき、
いつもつき従って仕えていた女たちである。
このほかにも、
イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。

本日の講壇201749

聖書箇所 マルコの福音書152141

説教題 『イエス・キリストの十字架』

■序論

キリストの十字架は全人類のためであるとともに「あなたのため」である。私を愛し、私を生かすために十字架でいのちを捨てたキリストを仰ぎ見よう。

 

1、十字架につける兵士たち(2127節)

十字架刑はゴルゴタの丘まで受刑者が自分で十字架をかついだ。すでに重傷を負っていたキリストの代わりに、クレネ人人シモンがその十字架をかついだ。ローマ兵たちがキリストを連行し、その手足に釘を打ち、その着物をくじ引きで分けた(2227節)。祭司長たちは神への冒涜罪でキリストを訴えた。一方、ピラトは「ユダヤ人の王」をローマに反逆した政治犯として扱い、罪状書きに記した。しかし、著者マルコはキリストの十字架を戴冠式のように描いている。神の国の王、キリストは十字架を通して栄光を現わされたことを信じよう。

 

2、十字架をあざける者たち(2937節)

十字架刑は受刑者を苦しめるだけではなく見せしめにする。道を行く人々(29節)、祭司長たち、律法学者たち(31節)がキリストをののしった。12時から午後3時まで全地が暗くなった。暗闇は御子キリストを十字架につけ、神との交わりが断絶された全人類を象徴する。キリストの十字架上での悲痛な叫びを、そばに立っていた幾人かはエリヤを呼んでいるように聞いた。御子キリストの十字架を最も心痛めておられるのは父なる神である。御子キリストが代わりに十字架にかかり、裁かれたゆえに、私達の罪が赦されたことを感謝しよう。

 

3、十字架を見つめる人たち(3841節)

キリストは御自身の霊を神の御手に委ねて息を引き取られた(37節)。その時に神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた(38節)。キリストの死によって罪人も神の御前に近づくことができる道が開かれた。現場監督として配置されていた百人隊長は十字架の一部始終を間近で見ていた。彼はイエスが神の子キリストであることを信仰告白している。また、遠巻きに十字架を見つめていた女性たちはキリストの弟子である。人種や、性別、社会的立場に関係なく、キリストを信じる者は誰でも救われる。キリストの十字架の招きに応えよう。

 

■結論

ピリピ2611 キリストの十字架は神の義と神の愛を現わす。キリストの十字架を我が内に刻み、教会のかしらとして掲げよう。十字架の愛に応えよう。