本日の講壇(2018/01/07)

聖書箇所 イザヤ書37章30~32節

説教題 『下に根を張り、上に実を結ぶ』

■序論

教団創立80周年に向けてガラテヤ516節が掲げられている。80周年計画に

向かう2018年に掲げられたイザヤ書3731節のみことばを分かち合おう。

 

1.ユダの家ののがれて残った者たち

イザヤ37章は「ヒゼキヤ王の緊急の祈り」と言われる箇所である。南ユダ王国のヒゼキヤ王はアッシリヤ軍による侵略の危機が迫り、預言者イザヤに使者を遣わし、緊急の祈りを要請した14節)。イザヤからの返事513節)、ヒゼキヤ王の祈り1420節)に続いて、イザヤは預言している2135節)。「ユダの家ののがれて残った者」は、国から逃げ出す者のことではなく、むしろ、国にとどまり、神の助けを経験する者たちのことである。危機の際にとどまるのは主と主のみことばである。主にとどまることが救われる唯一の道と信じよう。

 

2.下に根を張る

アッシリヤ軍によってユダの地は確かに荒らされたが、一年目、二年目は落穂から生えたものを食べると預言されている。そして、三年目には、その地でぶどう畑を作ってその実を食べることができる。土地が荒らされた直後はすぐに実を結ぶことができなくても、下に根を張る大切な期間なのである。根は下に張るので、表面には見えにくい。しかし、信仰生活においても大事なのは、根の部分である。つまり、主のみことばを信じ、主に祈る、主との交わりによって主との関係の縦軸が確立する。地に根差した信仰生活を送ろう。

 

3.上に実を結ぶ

ユダの地では三年目に下に根を張ることによって芽が出て、その芽から実を収穫することができた。実を収穫するためには準備と忍耐が必要である。下に根を張ることと上に実を結ぶ、この二つのことは切っても切り離せない関係にある。下に根を張るのは上に実を結ぶための準備だからである。主はその時を備えておられる(伝道者31811)。信仰生活においても目に見える「実」だけを求めていても、それに伴う備えがなければ実を見ることはできないだろう。実を結ぶためには今年、何をすべきなのかを見極め、備え、取り組もう。

 

■結論

主は主に信頼する者を決して放ってはおかれない。主がすべて時にかなって麗しい実を結んで下さることを信じて、主に対する信仰を深める一年としよう。

37:30 あなたへのしるしは次のとおりである。
ことしは、落ち穂から生えたものを食べ、
二年目も、
またそれから生えたものを食べ、
三年目は、
種を蒔いて刈り入れ、
ぶどう畑を作ってその実を食べる。

37:31 ユダの家ののがれて残った者は下に根を張り、
上に実を結ぶ。

37:32 エルサレムから、残りの者が出て来、
シオンの山から、のがれた者が出て来るからである。
万軍の主の熱心がこれをする。