本日の講壇(2018.1.21) 聖書箇所 イザヤ書40章1~8節 説教題 『慰めて下さる神』 ■序論 阪神大震災から23年経ち、東日本大震災から7年、九州大震災から2年になろうとしている。復興が進むなか、慰めと希望を与えて下さる神様に祈ろう。 1、慰められる民(1~2節) イザヤ書では39章までは厳しい警告が繰り返されているが、40章からは慰めのメッセージが始まる。バビロン捕囚から帰還した後の民の回復の預言である。神様が背信を繰り返したイスラエルの民を「わたしの民」と呼び、優しく語りかけられたように、神様は苦しみを経験するすべての人達を顧み、慰めて下さるお方である。まして突然の災害に見舞われた人達がその苦しみや痛みを乗り越えるために神様は慰めて立ち当たらせて下さる(Ⅱコリント1:3~5)。慈愛に満ちた神の愛と慰めがいま復興に向かう被災地に届くように祈ろう。 ■本論 2、主の栄光が現わされる地(3~5節) 3節からはバプテスマのヨハネのことが預言されている。彼は人々にイエス・キリストの福音を伝えた。ヨハネが拠点とした「荒野」「荒地」は何もない所を象徴している。しかし、荒野が平野となり、そこに植物が芽生えていくように、神様は無から有を生み出し、「谷」「山」「平地」(4節)及び自然界のすべてを治めておられる。大震災の後の被災地では瓦礫が撤去され、地が整備され、建物が再建されていく。神戸の復興を通して神様の栄光が現わされたように、今復興に向かう被災地も神様の栄光が現わされることを信じて祈ろう。 3、永遠に立つ神のことば(6~8節) エルサレムにおいて荒廃していた地が神様の息吹によって生き生きと回復する様子をイザヤは預言している。それと同時に人間の繁栄のはなかさを花、草にたとえている。イザヤもヨハネもやがて来られるイエス・キリストが完成する神の国を待ち望んで働いていた。彼らはいずれ自分たちは消し去っていく存在であることをわきまえ、神のことばだけが永遠に立つことを伝えた。あらゆるものが移り行き、変化していく中で、永遠に変わらないのは神のことばだけである。今復興に向かう被災地にも真実な神のことばが伝わるように祈ろう。 ■結論 阪神大震災から復興した神戸から東北、九州の地で復興が進むように祈ろう。永遠に立つ神のことばが人々の心に届き、支えとなることを信じて祈ろう。 |