聖書箇所 マルコの福音書4章1~10節

4:1 イエスはまた湖のほとりで教え始められた。おびただしい数の群衆がみもとに集まった。それでイエスは湖の上の舟に乗り、そこに腰をおろされ、群衆はみな岸べの陸地にいた。

4:2 イエスはたとえによって多くのことを教えられた。その教えの中でこう言われた。

4:3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。

4:4 蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。

4:5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。

4:6 しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。

4:7 また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。

4:8 また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」

4:9 そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」

4:10 さて、イエスだけになったとき、いつもつき従っている人たちが、十二弟子とともに、これらのたとえのことを尋ねた。

本日の講壇2018722.)

聖書箇所 マルコの福音書4110

説教題 『蒔かれた種』

 

■序論:イエス様は多くのたとえを用いて、真理を説かれました。このたねまきのたとえのように、日常的な出来事から誰もが目に浮かべることのできるような情景を用いて話されました。4つの場所は、みことばを聞くときの人の心をたとえています。

 

■本論

1、4つのたね、4つの場所

  このたとえは、たねまきはみことばが語られることを現わし、たねが落ちた場所はみことばきいたときのわたしたちの心、たましいの状態を示してます。

道 端:鳥がきて食べた。→サタンがみことばを持ち去る。

 岩 地:すぐに芽を出すが根がないため枯れた。→困難や迫害につまずく。

 茨の中:いばらに塞がれて実を結ばない。→世の心遣いが入り込む。

 良い地:実を結び、3060100倍になった。→しっかりと守る、悟る。

 

2、4つのたね(3-8節)

4つのたねのその後は、それぞれ異なる結末に辿り着きました。しかし、もともとそれらは同じたねです。たねはみことばを例えています。みことばは、いつも同じで“とこしえに変わることがありません”(第一ペテロ1:25)し、“生きていて、力があります”(ヘブル4:12)。みことばは生きていて、私たちの内で血となり肉となり、成長するものです。私たちの体は3度の食事を取って力づけられるように、たましいも、日々みことばを読み、力づけられることができます。

 

3、4つの場所(14-20節)

同じたねでしたが、落ちた場所はそれぞれちがいました。みことばを聞く私たちの心、信仰状態、たましいの素直さが異なることが例えられています。ことばは耳から入ってきますが、みことばは、深い誰にも見えないたましいで聞き入れるものです。4つの場所は、4つの異なるたましいの状態です。みことばを聞いている皆が堅い土地ではなく、皆が良い地でもないことをイエス様はご存知でした。しかし、素直な心で聞いて、良く覚ることによって、皆が良い聞き手になることができるのです。

 

結論  

 

わたしたちのたましいの状態は、どのような状態でしょうか。良い地としていつも実を結ぶことができることを主は期待しておられます。