今日のできごと


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2017/9/5(火)



パウロとバルナバの激論

 1.分裂

 第一回伝道旅行では、パウロとバルナバは共に力を合わせて
 各地でイエス・キリストを宣べ伝えていきました。
 ところが、第二回伝道旅行に行こうとした時に、激論になります。

 数日の後、パウロはバルナバに言った。
 「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へ
  もう一度行って兄弟たちを訪問し、
  どのようにしているかを見て来ようではないか。」
 使徒言行録 15章36節

 第一回伝道旅行で行った町々に行って、様子を見てこよう
 という提案を、パウロがバルナバにします。ここまでは良かったのです。
 ところがその後、途中で脱落したマルコを連れて行くか行かないかで、

 意見がぶつかり合ったのです。
 バルナバは、マルコも連れて行きたいと思いました。

 バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。
 使徒言行録 15章37節

 しかしパウロは逆でした。

 しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、
 宣教に一緒に行かなかったような者は、
 連れて行くべきでないと考えた。
 使徒言行録 15章38節

 マルコの脱落事件は、よっぽど士気をくじかれた出来事だった
 のかもしれません。そのため、パウロは反対します。
 そして意見が激しく衝突することになるのです。

 そこで、意見が激しく衝突し、
 彼らはついに別行動をとるようになって、
 バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、
 一方、パウロはシラスを選び、
 兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。
 使徒言行録 15章39〜40節

 結局、パウロとバルナバは別行動をとることになるのです。
 パウロとバルナバは、なぜ激論になってしまったのでしょうか?
 それは、それぞれが自分の方が正しいと出張して譲らなかったためです。

 2.原因

 「自分が正しい、あなたが間違っている」という思いでいるなら
 そこに生まれるのは、対立であり争いです。
 そこに一致と平和は生まれないのです。

 分裂分派の原因は、実はここにあるのです。
 たとえ相手が間違っていたとしても、強烈に相手の間違いを批判し
 相手の意見を否定してしまうと、対立で終わってしまうことを教えられます。

 正しい方が妥協するのは、良くないことですが
 間違っている方を強制するのも、自由意志を否定してしまうので
 良くないことです。

 本人の意志から出たことでなければ、いくら強制したところで
 解決はないのです。もし相手が本当に間違っていた場合は、
 本人が自分で気が付くように指導することこそが、重要です。

 この時は、パウロもバルナバも、譲りませんでした。
 「自分が正しい」という思いが、ぶつかり合ったのです。
 どちらが正しかったのかは、聖書には明記されていません。

 正しいのは人間ではなく、神だけです。
 一旦「私こそが正しい」という思いを横においておいて、
 祈りつつ冷静に神に祈りつつ、進めていくことが必要です。

 この場合も、どちらでもよかったのかもしれません。
 「私の方が正しい」ということを言っている内は、解決しないでしょう。
 とにかく、神に祈って聞くことがなければ、解決はありません。

 3.解決

 バルナバは、この後コリントの信徒への手紙1に出てきます。

 あるいは、わたしとバルナバだけには、
 生活の資を得るための仕事をしなくてもよいという権利がないのですか。
 コリントの信徒への手紙一 9章6節

 コリントの教会にバルナバは知られており、
 パウロと共に批判されているところを見ると、
 バルナバも、パウロと共に行動していたことが伺えます。

 第二回伝道旅行の前に、激論が起こり、
 第二回伝道旅行で初めてパウロたちが、コリントに行っていることから
 パウロとバルナバは、激論の後またいつの段階かはわかりませんが、

 行動を共にするようになったことが伺えます。
 マルコも、後にパウロにとって良い助け手となっています。

 ルカだけがわたしのところにいます。
 マルコを連れて来てください。
 彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。
 テモテへの手紙二 4章11節

 ですから一旦は激論になって、別行動をとってしまった
 パウロとバルナバとマルコでしたが、やがてまた協力して
 主の働きを進めていったことがわかります。

 【今日の聖書】
 実に、キリストはわたしたちの平和であります。
 二つのものを一つにし、
 御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、
 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。
 こうしてキリストは、
 双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて
 平和を実現し、十字架を通して、
 両者を一つの体として神と和解させ、
 十字架によって敵意を滅ぼされました。
 エフェソの信徒への手紙 2章14〜16節


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