重い皮膚病は清くなった
1.重い皮膚病はきよめられた
山上の垂訓の後、イエスが山を下りられると大勢の群衆が従いました。
そこに、一人の重い皮膚病を患っている人がやってきます。
彼はイエスに近寄り、ひれ伏して言いました。
「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」
イエスは、手を差し伸べてその人に触れて言われました。
「よろしい。清くなれ」するとたちまち重い皮膚病は清められたのです。
2.重い皮膚病の人と大勢の群衆の対比
2.1 たったひとり VS 大勢
イエスと共にいた人々は大勢でしたので、にぎやかだったはずです。
多くの人々が共にいますし、何よりもイエスが共におられたので
そこに孤独な人は、いなかったはずです。
けれども、重い皮膚病の人はたったひとりだけでした。孤独の中にいました。
重い皮膚病の人は、「穢れ」ているがゆえ群衆の中には入れなかったのです。
周りには誰もおらず、誰も近づいてくれない生活を送っていたのです。
2.2 重い皮膚病 VS 健康
イエスと共にいた群衆は、自由に歩き回りイエスについて行くことができました。
普段から、自由に動き回れる日々を過ごしていましたので
仕事をするにしろ、買い物をするにしろ自由に行くことができました。
けれども、重い皮膚病の人はその病ゆえに
人々から隔離された不自由な生活を、強いられていました。
重い皮膚病の人は、苦しみの日々を送っていたのです。
2.3 イエスの驚くべき御業の体験 VS イエスの御業を見ているだけ
けれども、重い皮膚病の人はイエスのきよめの御業を体験することになります。
重い皮膚病が、イエスによって完全に清められ回復したのです。
その回復の御業を、自分自身で体験することができたのです。
一方イエスに従っていた群衆は、そんな体験はできませんでした。
重い皮膚病ではなかったからです。様々な病気を癒された人も多くいたと思いますが、
ほとんどの人は、重い皮膚病という苦しみをしていなかったのです。
重い皮膚病がきよめられた人は、自分が重い皮膚病だったからこそその体験ができたのです。
もしはじめからずっと健康だったら、イエスにきよめられる体験はできませんでした。
この聖書の記事も、存在していなかったのです。
3.重い皮膚病の人の信仰姿勢
3.1 イエスに近寄った
重い皮膚病の人の信仰の第一歩は、イエスに近づいたことにあります。
なぜ、イエスに近づいたのでしょうか?
「イエスなら自分の重い皮膚病を治せる」と、信じていたからです。
そして、「自分なんか、イエスは見向きもしてくれないだろう」とは考えず
「こんな自分でも、イエスはきっと受け入れてくれるはずだ」と考えていたのです。
だから、みんなに忌み嫌われるような重い皮膚病だったにもかかわらず
イエスの前に、大胆に近寄って行けたのです。
イエスに近寄ることなしに、このきよめの御業は体験できませんでした。
イエスに近寄ったことが、本当に良いことだったのです。
3.2 イエスの前にひれ伏した
重い皮膚病の人の信仰姿勢で素晴らしいのは、イエスの前にひれ伏したことです。
そこに、彼のへりくだった従順な姿を見ることができます。
自分を低くしてイエス様の前にひれ伏す信仰、この信仰で求めたのです。
神は高ぶるものを退け、へりくだるものに恵みを与えられるお方なのです。
3.3 イエスに信仰をもって求めた
重い皮膚病の人のイエスに求めた言葉も、素晴らしいのです。
「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」
「御心ならば」ということは、「私の思い通りにしてください」ではなかったのです。
自分はぜひきよめてもらいたいけれども、「あなたの御心の方が優先されます」
という、へりくだりの姿勢が表れているのです。
そして「わたしを清くすることがおできになります」と断言しています。
「もしできるようでしたら、きよめてください」というような
あやふやな言葉ではなく、「あなたにはおできになります」という断言です。
はっきりとした信仰が、ここに表されています。
むすび.苦しみの中で重い皮膚病の人のようにイエスに近づき求めよう
このようにして、重い皮膚病の人はイエスによってきよめられ
そのことが今日に至るまで、証しとして全世界で聖書を通して伝わっているのです。
私たちも、重い皮膚病の人のような苦しみを抱え辛い中にあるかもしれません。
「なんで私ばっかり、こんなに苦しい思いをしなければならないんだ」
「どうしてこんな苦しみが、いつまでたっても終わらないんだ」
という状況の真っただ中にあるかもしれません。
けれどもその時に、重い皮膚病の人のように
イエスに近づき、イエスの前にへりくだり信仰をもって求めるのです。
その時、素晴らしい神の御業を体験することができるでしょう。
そしてその証が、同じように苦しんでいる多くの人を慰め励まし
信仰に導く結果となるのです。
苦しみに会うことは、実は神の御業が現れる素晴らしいチャンスの時でもあるのです。
【今日の聖書】
イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。
すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、
「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
イエスが手を差し伸べてその人に触れ、
「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。
イエスはその人に言われた。
「だれにも話さないように気をつけなさい。
ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、
人々に証明しなさい。」
マタイによる福音書 8章1〜4節