嘲笑
イエス・キリストが十字架に架けられた時、議員たちはあざ笑いました。
民衆は立って見つめていた。
議員たちも、あざ笑って言った。
「他人を救ったのだ。
もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」
兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。
「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
ルカによる福音書 23章35〜37節
祭司長たちも「他人は救ったのに、自分は救えない」と嘲笑しています。
同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。
「他人は救ったのに、自分は救えない。
イスラエルの王だ。
今すぐ十字架から降りるがいい。
そうすれば、信じてやろう。
神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。
『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」
マタイによる福音書 27章41〜43節
救い主イエス・キリストが嘲笑されることは、数百年以上前から預言されていました。
詩編22編に、そのことがはっきりと記されています。
救い主は、嘲笑われ「主に頼んで救ってもらうがよい。」と言われることが記されています。
神の子救い主が、嘲笑われながら十字架で死んでいったのです。
自分を救わず、世界中の人を救うために十字架で死なれたのです。
イエス・キリストが十字架に架かって死なれたからこそ、私達は救われたのです。
【今日の聖書】
わたしは虫けら、とても人とはいえない。
人間の屑、民の恥。
わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い
唇を突き出し、頭を振る。
「主に頼んで救ってもらうがよい。
主が愛しておられるなら
助けてくださるだろう。」
詩編 22編7〜9節