わたしは弱いときにこそ強い
パウロは、弱さ、侮辱、窮乏、迫害、
そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足していたといいます。
パウロの言う「満足していた」という言葉は、
「気に入っている、心にかなっている、好ましいと思う、願わしいと思う」
という意味の言葉です。
ですからパウロは、弱さや窮状の中にあってそれが好ましいと言っているわけです。
パウロは、「わたしは弱いときにこそ強いからだ」というのです。
弱さ、侮辱、窮乏、迫害、行き詰まりのような弱さを覚える状況下でこそ
自分は強いから、そう思うのだと言っているのです。
なぜ、弱い時にこそ強いのでしょうか?
弱さを補い、さらにそれを上回る力を与えて下さる神がおられるからです。
力強い神が共におられるなら、どんなに行き詰った状況でもそれを受け入れ満足できるのです。
私たちも、パウロと同じです。
パウロがより頼んでいたのと同じ神を、信じているからです。
力強い神が共にいて下さるなら、どんな窮乏に陥ったとしても強くされ満足できるのです。
【今日の聖書】
それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、
そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。
なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
コリントの信徒への手紙二 12章10節