今日のできごと


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2025/6/12(木)

 

悪霊にとりつかれた人

1.イエスの時代、悪霊につかれて狂暴な人がいた

 ある時イエスは、悪霊にとりつかれた人と出会います。

 イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、
 悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。
 二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。
 マタイによる福音書 8章28節

 ガダラ人の地方に、悪霊に取りつかれた者が二人いて
 墓場にいたというのです。
 二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであったといいます。

2.本人が狂暴だったのではなく悪霊が狂暴だった

 なぜこのふたりが狂暴であったかというと、悪霊にとりつかれていたからです。
 彼ら自身が、生まれつき元々狂暴であったのではありません。
 彼らの体が、悪霊たちに乗っ取られていたから狂暴だったのです。

 ちょうど運転席を乗っ取られて、運転をできなくされてしまった運転手のようです。
 車を乗っ取った乗っ取り犯が、スピード違反をして挙句の果て衝突事故を起こしたとしても
 元々の運転手には、何らの非はありません。

 悪いのは、乗っ取った乗っ取り犯の方だからです。
 乗っ取り犯が、スピード違反を犯し事故を起こしたのであって
 元々の運転手ではないから、その人を罪には問えないのです。

3.悪霊につかれていた人を責め立てることはできない

 悪霊につかれている場合も、同じです。
 いかにその人が狂暴で、いろんな人に危害を加え傷つけていようとも
 その人自身を責めることは、できないのです。

 その人ではなく、その人を乗っ取った悪霊がやっていたからです。
 車を乗っ取られた場合、事故を起こした車は運転手のものなので
 あたかもその車の持ち主の運転手が悪いかのように、思えてしまいます。

 けれども同じ車ではあっても、運転手が違うのです。
 乗っ取り犯が運転して、事故を起こしたのであれば
 悪いのは、乗っ取り犯なのです。

 悪霊につかれている場合も、同じです。
 悪霊に乗っ取られてしまった人がやったことは、外見的にはその人が自分でやったように見えます。
 しかしその時彼は、自分で自分の体をコントロールできなくされているわけです。

 ですから気付いた時には、「記憶がない時に恐ろしい悪を行っていた」
 ということになるわけです。あるいは、気付いていても自分では何もできない状態だった訳です。
 自分の意志で身体をコントロールできない状態で、悪霊が身体を動かしているのです。

むすび.悪霊につかれていた人でなく、その中の悪霊が悪を行っている

 悪霊が悪を行っている時、悪霊につかれていた人自身は何ら悪をしていないのです。
 その人の中に入り込んだ悪霊が、その人の体を勝手に動かして悪を行っているからです。
 元々の運転手が悪くないように、悪を行いその人を乗っ取っている悪霊が悪いのです。

 悪霊が悪い場合、悪霊につかれていた人に罪を負わせることができません。
 「悪霊につかれているから、この人はひどい人なんだ」ということはできません。
 ひどいのは人ではなく、その人をコントロールしている悪霊だからです。

 この場合、悪霊を憎み追い出し、その人を悪霊から解放することこそが必要なのです。
 悪霊が追い出されれば、正常に戻ります。
 イエスはそれを行っていったのです。

 ガダラ地方にいた悪霊につかれていた人からも、イエスは悪霊を追い出されました。
 悪霊が追い出されたその時に、この人は正常に戻っているのです。
 悪霊さえ追い出されれば、本来あるべき「自分で自分をコントロールできる状態」に戻るのです。

 【今日の聖書】
 そこで、悪霊どもはイエスに、
 「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」と願った。
 イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。
 すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。
 マタイによる福音書 8章31〜32節


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