イエスは深く憐れまれた
1.イエスは人々の心の中の弱り果てた状態を見て憐れんでおられた
イエスが群衆を見た時に、彼らが飼い主のいない羊のように
弱り果て、打ちひしがれていることを知って深く憐れまれました。
イエスは群衆ひとりひとりの、心の中を見ておられたのです。
飼い主のいない羊は、食事も水も安住できる住まいも見出すことができません。
食事も水も安住できる住まいも見出せない羊は、飢え渇きます。
それと共に、ある時は狼にやられて傷つきながら弱り果て倒れてしまうこともあります。
人々の心の中が、まさにそのような状態であることをイエスは御覧になりました。
イエスは人々の心の中を、しっかりと御覧になっておられたのです。
その上で、彼らを深く憐れまれたのです。
2.弟子達は人々を、憐れみの心ではなく裁く心で見ていた
しかし人々は弱り果てた人に対して、憐れみの目では見ていませんでした。
2.1 ザアカイを見た人々は裁きの目で見ていた
ザアカイの家にイエスが泊まることになった時、人々は何といったでしょうか?
これを見た人たちは皆つぶやいた。
「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
ルカによる福音書 19章7節
「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」と言っているのです。
ザアカイを「罪深い男だ」と裁きこそすれ、「彼は弱り果てている」というような
憐れむ心は、微塵もありませんでした。
彼らの心は、イエスの憐れみの心とは大きくずれていたのです。
2.2 イエスを歓迎しなかったサマリア人をヤコブとヨハネは滅ぼしたかった
エルサレムへ向かっていたイエスたち一行を、サマリア人たちは歓迎しませんでした。
弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、
「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言ったのです。
弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、
「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。
ルカによる福音書 9章54節
サマリア人を「焼き滅ぼしましょうか」と裁きこそすれ、「彼らはわかっていないだけだ」
というような、彼らを憐れむ心は微塵もなかったのです。
ヤコブ達の心は、イエスの憐れみの心とは大きくずれていたのです。
2.3 ファリサイ派の人はあの女は罪深い女なのだと裁いていた
ファリサイ派の家にイエスが入った時、一人の罪深い女が香油の入った石膏の壺を持って来て、
後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、
イエスの足に接吻して香油を塗りました。
その時、ファリサイ派の人は何と思ったでしょうか?
イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、
「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。
罪深い女なのに」と思った。
ルカによる福音書 7章39節
「あの女は罪深い女なのだ。」と思っているのです。
その女性を「罪深い女だ」と裁きこそすれ、「彼女は弱り果てている」というような
憐れむ心は、微塵もありませんでした。
ファリサイ派の人の心は、イエスの憐れみの心とは大きくずれていたのです。
3.イエスが私たちに求めておられるのは、憐れみの心
ファリサイ派の人やヤコブとヨハネ、そしてザアカイを裁いていた人たちを
私たちは「憐れみのない愚か者だ」と笑うことはできません。
私たちもまた、同じだからです。
明らかに道徳的に外れたことをしている人を見て、どう思うでしょうか?
敵対してくる人攻撃的な人に対しては、どういう態度になるでしょうか?
犯罪を犯してしまった人に対しては、どうでしょうか?
もしかしたら、ヤコブとヨハネのような思いになってしまっているかもしれません。
「彼らは、私とは違って悪を行うとんでもない人々だ。いなくなってもらいたい。
一緒に仕事をすることも、住むこともしたくない。」と思ったりしていないでしょうか?
どんなに罪を犯している人であっても、道徳的に外れた状態にいる人であっても、
イエスは裁くことをせず、憐れまれています。
イエスが私たちに求めておられるのは、憐れみの心なのです。
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
とはどういう意味か、行って学びなさい。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
マタイによる福音書 9章13節
むすび.私たちの心を憐れみ深い心に変える必要がある
私たちはまず、自分の中に「憐れみの心」が必要な事を覚える必要があります。
そしてその憐れみの心を、主に求める必要があるのです。
「私もイエスのような憐れみの心で、人々を見ることができますように」
と願い求めるのです。その願いは御心にかなっていますから
必ず答えられるのです。
私たちは神によって、憐れみの心を持つ人へと変えられるのです。
今日私たちは、このように祈って憐れみの心を求めていきたいと願います。
【今日の聖書】
また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、
打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
マタイによる福音書 9章36節