今日のできごと


 前日  翌日  今月  去年  去年  トップへ  更新
2026/1/9(金)

 

降誕祭は神の定めた暦には存在しない

1.降誕に関する祭は神の定めた暦の中には存在していなかった

 レビ記23章には、神ご自身が定められた7つの祭りが示されています。
 そこには今の教会暦の「復活祭」と「ペンテコステ」に該当するものはありますが
 いわゆる「クリスマス」と呼ばれている、「降誕」に該当するものは存在していません。

 1.1 レビ記23章に見る神の定めた年間カレンダーと現在の教会暦の対応

No. 祭の時期
(ユダヤ暦)
祭の名称 今の暦の場合
(+2か月半)
対応する現在の教会暦 祭の預言
1. 1月14日 過越祭 3月29日 受難日 キリストの
十字架
2. 1月15日
 〜21日
除酵祭 3月30日
 〜4月5日
キリストによる
罪の除去
3. 1月16日 初穂の祭 3月31日 復活祭 キリストの
復活
4. 3月6日 五旬節 5月21日 ペンテコステ キリストからの
聖霊傾注
5. 7月1日 ラッパの祭 9月16日 キリストの
再臨
6. 7月10日 贖罪の日 9月26日 キリストによる
悪魔滅亡
7. 7月15日
 〜21日
仮庵の祭 9月30日
〜10月5日

神の国確立
8.   12月25日 クリスマス  
 

 1.2 キリストの降誕が素晴らしい神からのプレゼントだったのは事実

 多くの教会では、毎年「クリスマス」をキリスト降誕のお祝いとして
 教会行事の中では一番盛大にお祝いして、様々な行事を行ったりしています。
 確かにイエス・キリストの降誕は、素晴らしい神の愛の現れの時であったのは事実です。

 降誕の知らせを聞いた羊飼いたちは、天の軍勢が現れて賛美するのを聞きました。
 彼らは、布にくるまれて飼葉桶に寝かせられた幼子イエスを、間近に見た証人となっているのです。
 東方の大勢の博士たちは、幼子イエスに会って黄金と没薬と乳香を献げて礼拝をしています。

 1.3 降誕に関する祭は神の定めた暦の中には存在しなかった

 けれども、これ程素晴らしい神の愛の現れであるイエスの誕生を
 なぜ12月25日に、祝っているのでしょうか?
 この日付は、一体どこから来ているのでしょうか?

 そもそも、神が定められた年間行事の中には「十字架」や「復活」や「聖霊傾注」に対する
 「祭」は定められていましたが、キリストの「降誕」に関する祭は、なかったのです。
 キリストの十字架を記念して、「聖餐」を行うようには命じられていますが

 キリストの降誕を記念して、「降誕」を祝うようには命じられていませんでした。
 キリストの降誕は、キリストの洗礼や奇蹟や洗足等と同様に
 特に取り上げて強調するものではなかったのです。

 強調すべきだったのは、神の暦に定められていた以下の7つだったのです。
 @十字架A罪の赦しB復活C聖霊傾注D再臨E悪魔の滅亡F神の国の確立の、7つです。
 ですから使徒時代の宣教は、降誕ではなく十字架と復活を中心的に宣べ伝えていたのです。

2.クリスマスには聖書に基づいていない何かが混在している

 2.1 日付が真冬の12月25日というのが不自然

 聖書の中には、イエスの生まれた日付は明記されていません。
 手掛かりとなるのは、「羊飼いたちが野宿していた」という記事です。
 当時のイスラエルでも、真冬に羊飼いたちが野宿しなかったのは当然です。

 ここがおかしいのです。「日付などどうでもいいじゃないか」という意見もあります。
 しかし、もし「降誕を純粋に祝おう」ということでクリスマスを定めたのであれば
 当然、聖書に基づいて羊飼いたちが野宿していてもおかしくない日付を設定したはずです。

 しかし、なぜか絶対にあり得ない12月25日という日付を設定しています。
 さらに、アドベントというクリスマス前の4週間の設定も不思議です。
 聖書に「降誕前の4週間が特別だった」とは、どこにも書いてありません。

 何かあらかじめ12月25日という日付に、特別な何かがあって
 その前の4週間も何か設定があって、それを単に流用したかのような
 そんな疑惑が生じてくるのです。

 2.2 クリスマスツリーとは何なのか?

 また日付だけではなく、いろいろと何か聖書には記されていない物が
 クリスマスには付加されていることに、気付きます。
 明らかに聖書的ではないサンタクロースや、トナカイがその代表です。

 サンタクロースを除いて最も目立つのは、クリスマスツリーです。
 これは、一体何なのでしょうか?
 なぜ、イエスの誕生に針葉樹なのでしょうか?

 クリスマスツリーに、デコレーションをするのはなぜでしょうか?
 モールで飾ったり、枝に様々な物を飾り付けます。
 そして最先端には、必ず星を付けるのです。

 博士たちを導いた星を表しているのでしょうか?違和感を感じます。
 特にツリーと関係が深いのは、プレゼントです。
 ツリーの下に、クリスマスプレゼントを置く慣習もあります。

 枝にプレゼントをつるしたりもします。
 ツリーとプレゼントに、何か密接な関連があることが伺えるのです。

 2.3 クリスマスケーキにブッシュドノエルがあるのはなぜか?

 またクリスマスにだけ、ブッシュドノエルと呼ばれる丸太型のケーキが出てきます。
 ブッシュドノエルのケーキは、クリスマスケーキの一つの種類として定着しています。
 なぜでしょうか?イエスの誕生と丸太に、何か関係があるのでしょうか?

 実は、クリスマスイブに大きな丸太を暖炉にくべて燃やす伝統があるのです。
 丸太を焼く儀式というのは、冬至祭の儀式の中に存在していましたが
 ここにも異教の風習が、クリスマスに紛れ込んでいることが伺えるのです。

3.聖なるものを汚れたものと混ぜてはならない

 どんなに素晴らしい食材を買ってきて、最高のレシピで美味しい料理を作ったとしても
 そこに1つでも腐った食材や毒物が混入してしまえば、途端に食べられなくなってしまいます。
 神を礼拝することにおいても、同じことが言えます。

 どんなに素晴らしい賛美がささげられ、どんなに素晴らしい聖書の説教がなされたとしても
 そこに異教的なものが混在してしまったら、本来素晴らしい聖なるものであるにもかかわらず
 それらは神に受け入れられない汚れたものへと、変化してしまうのです。

 キリストの降誕自体は、素晴らしい神の恵みに他なりません。
 それを祝うこと自体は、素晴らしい事であることではあります。
 しかしそれを、異教の偶像崇拝と混ぜ合わせて行なってしまったらどうなるでしょうか?

 これは、決して神に受け入れられないものとなってしまうのです。
 とびっきり美味しい鍋料理に、フグの毒が混入してしまったようなものです。
 それらはもう食べることができません。毒物しかも危険物として捨てなければならないのです。

 鍋料理の他の食材がどんなに高価で美味しくても、一切食べられなくなってしまうように
 賛美も聖書のメッセージも、他のすべてがどんなにすばらしくても
 異教的なものが混在した時点で、もはやそれは神に受け入れられないものとなってしまうのです。

むすび.伝統を取るか?神の言葉を取るか?

 教会でクリスマスを祝うことは、長い間の伝統でした。
 何も深く考えずに毎年12月になると、クリスマスツリーを飾りクリスマスの装飾をして
 クリスマス会を計画して、大きな行事として行なってきました。

 しかしクリスマスについてよくよく調べてみると、異教的要素の多さに気付くのです。
 元々異教の伝統であったものを、キリストの降誕にすり替えて教会に取り込んでしまった
 そんな歴史が見えてくるのです。

 教会が受継いできた伝統が、すべて悪いわけではありません。
 けれどもその伝統に、何か違和感を感じる点があるような場合は注意が必要です。
 きちんと調べたうえで、それを継続するのかやめるのかを判断する必要があります。

 クリスマスという行事も、再度きちんと調査した上で再確認する必要があると考えられます。

 【今日の聖書】
 あなたはみずから慎み、彼らがあなたの前から滅ぼされた後、
 彼らにならって、わなにかかってはならない。
 また彼らの神々を尋ね求めて、
 『これらの国々の民はどのようにその神々に仕えたのか、わたしもそのようにしよう』
 と言ってはならない。

 あなたの神、主に対しては、そのようにしてはならない。
 彼らは主の憎まれるもろもろの忌むべき事を、その神々にむかって行い、
 むすこ、娘をさえ火に焼いて、神々にささげたからである。

 あなたがたはわたしが命じるこのすべての事を守って行わなければならない。
 これにつけ加えてはならない。
 また減らしてはならない。

 申命記 12章30〜32節


 前日  翌日  今月  去年の今頃  トップへ  更新