ヤロブアムは礼拝方法を勝手に考えた
1.ヤロブアムが北イスラエル王国の王となった
ソロモン王の死後、その子レハブアムが王となります。
ソロモンは先祖と共に眠りにつき、父ダビデの町に葬られ、
その子レハブアムがソロモンに代わって王となった。
列王紀上 11章43節
しかし、ヤロブアムたちの要求に対して厳しく返答してしまった結果
イスラエルの10部族は、すべてレハブアム王に従うことをやめて
ヤロブアムを王として、イスラエルのすべての人々の上に立てたのです。
イスラエルのすべての人々はヤロブアムが帰ったことを聞き、
人を遣わして彼を共同体に招き、王としてイスラエルのすべての人々の上に立てた。
ユダ族のほかには、ダビデの家に従う者はなかった。
列王紀上 12章20節
ここからイスラエルは、南ユダ王国と北イスラエル王国に分裂することになりました。
南王国の王はレハブアム王で、北王国の王はヤロブアム王ということになったのです。
2.ヤロブアム王は民が南に帰るのを恐れ偶像を作った
ヤロブアム王には、ひとつの懸念事項がありました。
それは、すべての男子が毎年エルサレムの神殿に礼拝に行かなければならなかったことです。
この民がいけにえをささげるためにエルサレムの主の神殿に上るなら、
この民の心は再び彼らの主君、ユダの王レハブアムに向かい、彼らはわたしを殺して、
ユダの王レハブアムのもとに帰ってしまうだろう。」
列王紀上 12章27節
北と南に別れたのにもかかわらず、毎年3回も北王国のすべての男子が南王国にある
エルサレムの神殿に行かなければならないことを、懸念したのです。
「民の心は再び、ユダの王レハブアムに向かうのではないか?」
「そうなれば、自分は謀反を起こした者として殺されてしまうかもしれない」
その恐れが湧き上がってきたのです。
そこでヤロブアム王は考えた末に、金の子牛の像を作って拝むようにさせたのです。
彼はよく考えたうえで、金の子牛を二体造り、人々に言った。
「あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。
見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である。」
彼は一体をベテルに、もう一体をダンに置いた。
列王紀上 12章28〜29節

北王国の北の端のダンと、北王国の南の端のベテルに金の子牛の像を置いて
南王国のエルサレムではなく、北王国の国内で礼拝をさせようとしたのです。
それはもはや神への礼拝ではなく、偶像崇拝そのものだったのです。
3.ヤロブアム王は勝手に考え付いた日を祭の日と定めた
ヤロブアム王は、神の定めを無視し続け聖なる高台に自分の作った神殿を設け
レビ人ではない民の中から、一部の者を祭司に任じました。
彼はまた聖なる高台に神殿を設け、レビ人でない民の中から一部の者を祭司に任じた。
列王紀上 12章31節
そして、勝手に定めた第八の月の十五日を祭の日として
祭をとり行うようにしたのです。
ヤロブアムはユダにある祭りに倣って第八の月の十五日に祭りを執り行い、
自ら祭壇に上った。
ベテルでこのように行って、彼は自分の造った子牛にいけにえをささげ、
自分の造った聖なる高台のための祭司をベテルに立てた。
彼は勝手に定めたこの月、第八の月の十五日に、自らベテルに造った祭壇に上った。
彼はイスラエルの人々のために祭りを定め、自ら祭壇に上って香をたいた。
列王紀上 12章32〜33節
これらの神殿も祭壇も祭りも祭司も日付も、神が定めたものではなく
ヤロブアム王が、勝手に考え付いたもので
神の定めとはまったく無関係のものだったのです。
むすび.勝手に考えてやり始めた事が滅亡へと繋がっていった
神が定めた方法ではなく、ヤロブアム王が勝手に考え付いた方法で
人々を礼拝させようとしたことは、まさに偶像崇拝になってしまい
それが、代々受け継がれてしまうことになったのです。
最終的に、北イスラエル王国は滅ぼされてしまい
民はアッシリアへと、捕囚になってしまうのです。
神の定めた礼拝の方法を、勝手に自分の考えで変えてしまってはならなかったのです。
【今日の聖書】
彼は勝手に定めたこの月、第八の月の十五日に、自らベテルに造った祭壇に上った。
彼はイスラエルの人々のために祭りを定め、自ら祭壇に上って香をたいた。
列王紀上 12章33節