2012年1月1日
ルカ2:21−24
イエス様が生まれて40日目に、マリアとヨセフは、彼をベツレヘムに近いエルサレムの神殿に連れて行きました。その日、二つの大切な儀式を行いました。それは、母マリアの清めと初めて生まれる男の子を主に献げる儀式です。旧約聖書には、神様から人を離すものが二つあります。一つは罪で、もう一つは汚れです。人を宗教的に汚すものが沢山あります:例えば、汚れた動物の肉を食べる事、汚れた物を手で触れる事、らい病、血、出産など。人を清める方法は様々でした:体を洗う事、夕方までに待つ事、又特別の供え物を神様にささげる事です。出産の場合には、犠牲が必要でした。レビ記12:6−8によりますと、その犠牲は一歳の雄羊一匹を焼き尽くすささげ物でした、しかし、お金が無い人は、「2羽の山鳩又は2羽の家鳩」がよろしいでした。2つの事に注目したいと思います。先ず、マリアとヨセフは、貧しい人でした。イエス様はこのような家族に生まれました、金持ちの家族に生まれませんでした。ですからイエス様はいつも貧しい人に関心を持っていました。ですから私達のような人に関心を持っています。私達も、貧しい人や困っている人に関心を持っています。ところで、3人の博士達はクリスマス・イブにベツレヘムに到着しませんで、もっと後に宝物を持って来ました。又面白いと思うのは、このイエス様、聖なる三位一体の第2位格(いかく)がこの地上に生まれた時、清める事が必要な汚れた状態の中に生まれました。後で、大人のイエス様は、御自分の上に、十字架上でそのすべての罪と汚れを取りました。その犠牲は山鳩のような物ではなくて、御自分の聖なる血と尊い苦しみと死でした。
その日の二つ目の儀式は、赤ちゃんを主にささげる儀式でした。イエス様はマリアに最初に生まれた子供でした。旧約聖書には、初子(ういご)は神様の物で、両親はその子供を神様から買わなければなりません。その値段とは、1匹の子羊でしたが、貧しい両親の場合には、1羽の山鳩がよろしいでした。モーセの物語、出エジプトと過ぎ越しの夜の物語を覚えますか。その時、死の天使がエジプトの地のすべての最初に生まれた人と家畜を殺す為に来ました。しかし、イスラエルの人々は1匹の子羊を殺して、その血を家の入り口の2本の柱と鴨居(かもい)に塗りました(出12:7)。死の天使がその血を見ると、その家を過ぎ越して、その家にいる人が救われました。この子供が残されましたが、今度、神様はその子供を御自分のものにしました。それで、今度、両親はその最初に生まれた子供を、神様から買い戻さなければなりません。それをする時、どのように神様が、彼らをエジプトの奴隷状態から救い出して、約束の地に導いて下さった事を覚えて記念します。それで、ヨセフとマリアはイエス様を神殿で主なる神様にささげて、犠牲をも捧げて、イエス様を主なる神様から買い戻します。そして、ルカ2:40が教えます。「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包(つつ)まれていた。」
キリスト信者の親が、自分の子供を神様にささげる儀式は洗礼式です。その時、子供が神様の子供になり、神様の家族の1人になります。又、三位一体の神様の名前がその子供に与えられています:「父と子と聖霊の名による」です。そして、親の義務とは、その子が自分の天の父を知るように教える事です。新約聖書には、神様はその子を買います。金や銀ではなくて、山鳩や家鳩ではなくて、子羊の血によってです、即ち、神の子羊であるイエス・キリストによってです。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会