2016年1月1日
ルカ12:22〜34
12:22 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。12:23 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。12:24 烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。12:25 あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。12:26 こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。12:27 野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。12:28 今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。12:29 あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。12:30 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。12:31 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。
12:32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。12:33 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。12:34 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
信仰によって生きる事。
イエス様は弟子達に言われました、「12:32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」それこそは問題です。私達は恐れるからです。2015年はそうでしたが、2016年にもそのように活きるでしょうか。私達は心配します。安心して思いません。パニック状態(じょうたい)になります。イエス様によりますと、それは信仰の問題です。イエス様は「信仰の薄い者たちよ」と言われます。
神の国について考えますと、このように考えたらどうでしょうか。あなたの国籍はどこの国でしょうか。天国の国民でしょうか、それともこの地上の国の国民だけでしょうか。神様に信頼するか、あなたの国の政府に信頼するでしょうか。神様はあなたの王様でしょうか、それとも、他の者があなたの人生を支配するでしょうか。もし心配事が食べ物や着物、住まい、泥棒があなたの家に押し入ることなどでしたら、あなたの住んでいる町の役場や警察に頼(たよ)って下さい。全世界のすべての人はその物を求めます。
イエス様は言われました。「あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。12:30 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。12:31 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。」神様はあなたが何を必要とするかが分かります。ですから、主の祈りで「日ごとの糧を今日も与えたまえ」と祈る時、感謝の祈りのようになります。「主よ、日々の糧を下さいますので、ありがとうございます」と。そして、このように祈る事が出来ましたら、私達がもうこの地上の事を心配しません。その時、神の国とその義を求めています。「御国を来らせたまえ。。。。国の力と栄。アーメン。」
これは信仰によって生きる事です。勿論、人生には問題が起こりますが、どのようにして神様が私達の2016年度の問題を解説するでしょうかと不思議に思います。それで私達の人生の中に働く神様の奇跡を待ち望みます。神様の憐れみを待ち望みます。主の恵みに生きるのです。
私達が信仰によって生きる事が出来るのは、神様が信頼出来る方だからです。私たちが神様に忠実である事が出来るのは、神様が私たちに忠実であられるからです。神様は約束を建てて、それを守って来られたので、これからもその約束を守られます。聖書は、神様の約束とその約束を守る記録です。アブラハムに対する約束を守りました:夜の星の数のような子孫と住む為の約束の地です。ダビデ王に対する約束を守りました:彼の子孫の一人、イエス様は救い主になりました。イエス様は、御自分が私達の罪の為に死んで3日目に甦ると言う約束を守りました。約束された聖霊がペンテコステに来られました。ですから、イエス様が御自分の約束を守られることを信じます。再び来られて、私達を天国に連れて行きます。これは神様の約束です。
私達は神様に忠実にするように約束しました。洗礼を受ける時にその約束を建てました。堅信式を受ける時にその約束を再び結びました。祈る時、又、聖餐式をいただく時、その約束を再び確認します。キリストの血による新しい契約です。そして、その聖礼典によって、キリストは御自分の約束を再び結びます。それは忠実であるという約束です。
これが信仰によって生きる事です。即ち、私たちに約束してくださった神様の忠実の中で生きる事です。ですから、アブラハムのように信仰の旅が出来ます。自分の信仰によって立つ事が出来ます。ダニエルと彼の友達のように、(ライオン)獅子の洞窟(どうくつ)の中にあっても、燃え上がる炉(ろ)の中にあっても、信仰によって立ちます。 2016年はそのようなものかも知れません。しかし、信仰によって生きる事は、イエス様が言われたように、空の鳥のように自由です、野原の百合のように美しい人生です。
アーメン。
2016年は猿年
列王記上10:22 (= 暦代詩下9:21)
“ソロモン王は海にヒラムの船団のほかにタルシシュの船団も所有していて、三年に一度、タルシシュの船団は、金、銀、象牙、猿、ひひを積んで入港した。”
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会