自分の蒔いたものを、また刈り取る
2007年7月7日
ガラテヤ
「人は自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです」ガラテヤ6:7
自分の蒔いたものを、また刈り取る。第一部、子供と話す時
今朝の9
:30の礼拝の為に、子供の説教を準備しました。ここに種があります。この豆の種を蒔きましたら、何がなるでしょうか。何を収穫するでしょうか。豆です。トモロコシの種でしたら、どうなるでしょうか。勿論、トモロコシです。自分の心の中で、愛を蒔きましたら、何がなるでしょうか。
自分の心の中で、信仰を植えましたら、何が増えるでしょうか。
憎しみでしたたらどうなるでしょうか。もし人種差別でしたら、どうなるでしょうか。いじわるでしたら、どうなるでしょうか。
他の人の人生の中でも、私は種を蒔く事が出来ます。人と話す時、遊ぶ時、働く時は、種を蒔く事のようです。
親切の種を蒔きましたら、何がなるでしょうか。彼らの心の中にも、親切が成長するように願っています。
又、思いやり、他の人に対する関心を持つ事の種はどうなるでしょうか。
又、信仰、イエス様を信じる信仰の種はどうなるでしょうか。
他の人を愛する時、素晴らしい種を蒔きます。イエス様について話す時、友達が教会に来るように招く時、種を蒔きます。
信仰の種は十字架のイエス様のようです。イエス様が死んで葬られていました。それは、土に種を蒔く事のようでしょう。そして、イエス様は3日目に甦りました。イエス様の収穫は、彼を信じる人々への、命と救いです。これは素晴らしい種です。
自分の心の中にイエス様を植えましたら、何が出て来るでしょうか。それは、愛、信仰と福音の良い知らせの喜びです。
アーメン。
自分の蒔いたものを、また刈り取る。第二部、大人と話す時
続いて、大人の為の話です。
伝道は、「種まき」とよく呼ばれています。イエス様は、種まきの例え話しを話しました、農家の人は神様の種を蒔きました。多くの伝道の方法や伝道訓練の素晴らしいプログラムがあります。しかし、その全ての中心とは、神様の御言葉を語る事です。語るか、字を書くか、マスメディアでの放送か、インターネットのブログか、絵を描くか、歌を歌うかーーこれらは御言葉を語る事です。何故ならば、聖霊の働きは、人が道を歩く時に、雷のように、人に当たってきません。ザップ、お前は信者だ。ザップ、お前は、クリスチャンだと。むしろ、聖霊は御言葉と聖礼典において、信仰を創造します。御言葉が信仰を造り、聖礼典は罪を赦します。ですから、人間が神様の御言葉を語らなければなりません。
多くの伝道の方法があります。今日の福音書はクラシックな方法です。二人ずつ伝道チームを送り出す事です。「神の国が近づいた」と話したり、教えたりします。神の国が来るのは、イエス様が人の人生に入る時です。平和と癒やしを持って入ります。
沖縄に来る前に、私と家内は、北海道の日本海の小さな町に送られていました。私達の宣教のミッションとは、新しい教会をその町に造る事でした。どこから始めるかを勉強しました。日本の地方伝道、即ち、小さい町での小さい教会の働きについて勉強しました。その岩内町に、英会話学校を開きました。その町の人々と会う為に良い方法でした。多くの友達を作って、福音と愛の種を蒔きました。
日本では、これを「開拓伝道」と言います。家内のおじいさんは北海道の開拓者でした。私のおじいさんは、アメリカの南ダコタ州の開拓者でした。私のおじいさんと彼のいとこ(いとこだと思いますが)とが、二人が大草原の土地で、鋤
sukiが決して入った事がなかった、新しい所で農家を始めたのです。その土を耕tagayaして、種を蒔いて、それを収穫しようと思いました。自然の大草原の土は、固くて、草の根でびっしりです。おじいさんのいとこは、普通の土と同じように、それを深く耕そうと思いました。しかし、難しく、時間のかかる働きで、広い所を耕して広い所に種を蒔く事が出来ませんでした。しかし、私のおじいさんは、深く鋤を入れないで、広い所を耕す事が出来たので、多くの種を蒔いて、いとこより、収穫が多く取れたそうです。次の年、よく深く耕す事が出来ました。幸先(さいさき)が良かったです。後志広域伝道の為に、これは、私の伝道方法で、沖縄の為にもそうです。ですから、最初に人と出会う時、私は深く耕さないで、何かが簡単に成長する事が出来るような種を蒔きたいと思います。愛の業や親切さや思いやりによって心を柔らかくします。それで、イエス様についての言葉が根をおろして成長する事が出来ます。洗礼の水、聖餐式や聖書研究や説教や交わりによってその種が成長します。
「人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです」と。皆さん、その親切な、愛と平和の種を蒔きましょう。そして、聖霊は私達の人生の中にもその実を結びます。神の御言葉の種をもまきましょう。そして、聖霊は神の国に、信じる魂を神の国に連れて行きます。
私はちょっと心配します。今日の説教は、あなたがたの為に、あさく耕す事でしょうか。もっと深く耕して、もっと成長させる肥料が必要でしょうか。日曜日の朝の礼拝より、自分で聖書を読む必要があるでしょうか。自分の信仰の成長の為に、交わりと礼拝がもっと必要でしょうか。イエス様が弟子達を二人ずつ遣わしました事のように、伝道の為のパートナー、祈りの仲間が必要でしょうか。自分を指導して下さる先生、又、自分の弟子でも良いでしょう。しかし、覚えて行きましょう、その種とは、いつも、十字架に付けられて、復活したイエス・キリストの事です。他の種は、雑草です。しかし、福音の種は、永遠の命と救いになりますです。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会