20ll年9月11日
マタイ18章21−35
今日2つの悲劇を覚えます。アメリカでの同時多発テロの攻撃で多くの人々が亡くなって10周年になります。また東日本大震災による、津波と福島に原子力発電所の災害の6カ月になります。人々は今もまだ苦しんで、悲しんでいます。その人々の為に祈ります。出来るだけの援助をします。テロリストは沖縄を攻撃しませんでした。また、津波もここに来ませんでした。でも私達も、自分達の心の中で、死んだ人々の為に悲しみました。愛する人を亡くした人と共に悲しみました。その災害の大きさを見ると驚きました。テレビで見た映像で恐怖をかんじたでしょう。見て恐ろしいと思いました。ですから、多くの人々はこの大きな災害とその後に来る苦労にショックを受けて、悲しみました。今日の祈りの中で、私達は自分自身も、また全世界の人々も覚えて祈ります。
まず、アメリカでの同時多発テロの攻撃を考えましょう。私達はどう反応するでしょうか。仕返しをするか、それをした人を罰する事は、国の政府に神様から与えられた仕事と責任であると私は思います。ローマ人への手紙13章はそう教えます。宗教的な反応、クリスチャン達の反応はどうでしょうか。悔い改め、赦し、平和を造る事は、神様から与えられたすべてのクリスチャンの仕事と責任であると思います。赦す事が出来るか、赦すべきか?10年後、60年後、赦す事が出来るでしょうか。赦しはキリスト教の中心です。私達のシンボルは十字架で、愛と赦しのシンボルです。
今日の与えられた福音書は赦しについてです。マタイ18章の例え話です。ある人のものすごい大きい借金が赦されたのですが、その人は小しの借金を持っている人を赦そうと思いませんでした。最初の人のは一万タラントン借金でした。「タラントン」とは重さでした。約34キログラムでした。もし、その借金を金にたとえますと、それは、金の大きい金塊は3つぐらいです。(一つの金のかたまりは約12.5キログラムです。)今日の金の値段($1875/oz)のレートで計算しますと、約14,700,000,000円でしょう。(147億円。)もう一人の借金は百デナリオンでした。約50万円でした。その大きな借金は現代の一つの国の借金が赦されているかのように、例えることが出来ます。その国は今度国の税金を払わなかった人を探して、税務署がその人を逮捕することのようです。イエス様は、この例え話によって、どのぐらい神様が私達を赦して下さったか教えます。それで、感謝を持って私達は他の人を赦すべきです。私達を赦す為にイエス様は死んで下さったと同じように、私達は他の人にその赦しを与える為に生きるのです。
それでは私達はそのテロリストを赦すべきでしょうか。国の政府は赦してはいけません。政府は正義を求めます。しかし、個人のキリスト信者として、敵でさえも赦す程、敵を愛する愛があるはずです。言い換えますと、憎しみと恐れが私達の心を支配する事を"許しません。"自分の人生の中で、サタンがその敵の働きを続ける事を許してはいけません。仕返しと罰などは神様にゆだねましょう。私達の仕事とは、平和の為に祈ったり働いたりする事です。それは簡単なものであると言いません。十字架上で死ぬ事はイエス様の為に簡単ではありませんでした。赦しは謙遜(けんそん)の事です。悔い改めは、自分の罪を後悔する事だけではありません。完全に神様を信頼する事です。何故ならば、悪に対して、自分の弱さを知るからです。
今度、東日本の大災害を考えましょう。このような災害は「天災」とよく呼ばれています、又、「神の業」と呼ばれています。神様はテロリストでしょうか。神様は地震と洪水と山火事を送るでしょうか。旧約聖書には、悪を行う人を罰する為に、神様は疫病と天災と戦争を起こしました。例えば、ノアの洪水、ソドムとゴモラの破壊、エルサレムの町の負けと破壊です。神様は罪人を罰しました。しかし、神様は東日本を罰したでしょうか。東日本で死んだ人は、東京や沖縄の人間よりひどい罪人でしょうか。そうではありませんでした。
ある時、総督ピラトは数人のガリラヤ人を殺しました。その事件をイエス様に教えた人に、イエス様はこのように答えました、ルカ13:3-4、「「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。13:3 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。13:4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。13:5 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」」
事故や災害の原因(げんいん)を説明する事が出来ない時があります。地震や津波の時、人間を責める事が出来ません。それで「天災、神の業」が起こる時、神様を責めるべきでしょうか。人は良くそうします。例えば、愛する人が死にますと、どうして神様は自分の子を癒したり、守ったりしなかったかと思います。人は神様に怒ります。神様は自分を愛してくれないと思って、神様は自分の祈りを聞かなかったので、神様を「赦さない」と思います。「神様を赦す」と言う言葉を聞いた事がないでしょう。おかしい言葉でしょう、しかし、多くの人は神様が嫌いです。イエス様は敵であると思います。宗教は憎しみと偏見の源であると思います。教会を赦そうと思いません。神様を赦そうと思いません。どうして神様はその地震と津波が東日本を襲うのを許しただろうかと思います。その日、キリスト信者も死にました。どうして神様は彼らを救い出さなかったでしょうか。それで神様を赦す事が出来るでしょうか。
信仰と信頼と赦しは一緒です。神様を信頼します。2001年9月11日の災害と2011年3月11日の災害を説明しません。神様を信頼します。どの災害があっても、クリスチャンの仕事が何であるか分かります。先ず祈ります。そして出来る援助をささげます。そして祈りに戻ります。犠牲者の為に祈ります。又、自分自身が悲しむので、自分自身の為にも祈ります。私達も怖がったのです。恐れました。自分の弱さを覚えます。実際に出来るのは、ただ神様を信頼する事です。イエス様が死んで三日目に甦ったので、私達が神様を信頼する事が出来ると分かります。
「赦し」との言葉の意味が何であっても、それが必要であると分かります。世界平和を造るのはそれだけです。私達の心と人生に平和を造るのは、赦しだけです。それで、けんそんと悔い改めと信頼と信仰を持って、この2つの災害に苦しまれたすべての人々の為に祈ります。慰めと力と希望と平和があるように神様に祈ります。
アーメン。
マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会